三聖地 ふしぎ発見!

~三聖地クイズ大会~

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第19問の正解発表

第19問

第4回巡拝の日程は長距離旅行が制限されましたが、金剛さまは団体参拝を継続するために、乗り越えた方法とは、次のうち、どれでしょう?
正解「1 制限される前の期間に開催日を変更した」

【解説】

昭和19年、当時の巡拝は全行程が列車移動でした。そのため「決戦非常措置要綱」【※】に基づく旅客輸送制限により長距離旅行が制限となり、旅行証明書が必要となりました。この実施が第4回巡拝の4月1日からと知った金剛さまは即座に巡拝の日取りを3月に変更され、宿泊する泉涌寺をはじめ各所への連絡や行程の変更など急遽準備に奔走され、この年も無事に巡拝は行われました。

(参考:解脱誌 令和2年3月号「第80回三聖地巡拝・記念特集」)

【※】「決戦非常措置要綱」

学徒動員や女子挺身隊の強化、地方への疎開の推進などの空襲対策、旅行の制限、高級享楽の停止(待合、カフェー、遊郭、劇場などの休業)、官庁の休日削減など、国民生活に多大な影響を及ぼした。 

なお、旅行制限では100km以下の乗車券の発売枚数の割当による数量の制限のほか、100km以上(乗車時間2時間以上)の遠距離列車の切符について居住地の警察署発行の旅行証明書がないと購入できないようにする措置(買い出しや遊興旅行の制限が目的)が東京都区内・横浜市内・川崎市内駅発に限り試行されたが、警察署の第一線事務増加からの反対から5ヶ月後に廃止され全国施行はされなかった。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

「当時の巡拝は過酷⁈」

戦時中は生命の危険を冒しながら、戦後においては占領下という非常時の中での、大変な苦労の末に成し遂げられたものでした。
翌20年には、交通事情はさらに悪化し切符の確保は困難を極め、巡拝団は座席はおろか通路に腰を下ろすのがやっとでほとんど眠ることもできなかった。そしてもう一つ眠れない理由が…それは空襲の恐れがあったからでした。当時の巡拝は常に生命の危機と隣り合わせの道程でした。戦時中の列車や駅舎に受けた空襲は国鉄だけで爆撃だけで403回、焼夷弾攻撃252回、機銃攻撃494回に上りました。
このような戦時下においても巡拝は、途切れることなく続けられました。

(参考:解脱誌 令和2年3月号「第80回三聖地巡拝・記念特集」)