三聖地 ふしぎ発見!

~三聖地クイズ大会~

未知なる世界へ踏み出そう!

目指せ、三聖地マスター!!

第1問の正解発表

~解説~

第1回

「昭和41年8月12日より15日までの4日間」

第2回

「(昭和42年)8月18日~21日」

第3回

「4日にわたる第3回三聖地巡拝錬成」

(昭和43年9月号の「解脱青年」(旧YG誌)38頁より)

第1問

第1回~第3回の三聖地巡拝錬成の行程(日数)は何日間だったでしょうか。

正解は「3:4日間」

今とどう違ったんだろう?

昭和41年9月「解脱青年」より、第1回の参加記を読んで学びを深めよう!

(​長いけど、頑張って読んでね!)

【参考】

『炎天下に巡拝おえる』

 ー第1回 三聖地巡拝錬成 参加記ー

(昭和41年9月 第41号 「解脱青年」19ページより)

 8月12日の夜、本部道場は白いシャツやブラウスに彩られ、若やいだ声が飛びかっていた。第1回三聖地巡拝錬成の関東以北の参加者約500名が出発式を前にして整列しはじめていたからだ。

 この三聖地巡拝錬成が計画されたのは、昨年10月に御霊地で開かれた全国部長会議の席上だった。早いもので、あれから10ヶ月。途中、何度も案が練りかえされ、単なる巡拝から巡拝錬成へと形を変えたわけだが、これも全国部員の前向きの姿勢といえるだろう。連絡のため参加者のあいだを飛びまわっている岸田青少年部長の表情にも、感慨ひとしおのものがあった。

 出発式は午後8時から始まった。

 第1回目ながら、本部から男子は白シャツに白ズボン、女子も白のブラウスと服装が定められていた。この参加者たちが、引率責任者・早川本部員の号令によって、前後左右に移動する姿は整然として美しく、この2年間、団体行動による規律の訓練を練成会の目標としてきたその成果が現れていたようだ。式は西貝本部員の歓送の言葉のあと、岡野団長のあいさつ。

 「甲子園球場では、健児たちが炎天下死力を尽くしている。諸君も酷しい暑さの中で巡拝錬成を行うわけだが、何事も厳しさの中でのみ成長することができる。この機会を利用して、大いに心身を鍛えてほしい」

 と述べた岡野団長の表情には、本会の将来を背負ってたつ青年部員への期待がみなぎっていた。これに応えて約500名の参加者が拍手で応え、厳しゅくかつ花やかな出発式だった。

 三聖地巡拝錬成の目標は、”民族の伝統と国恩報謝に生きる心を育成し、全国青年部の融和を図りながら心身を錬磨して、信仰心を昂揚する”ということだった。このため、伊勢、橿原の両神宮と泉涌寺を参拝する、強行日程が組まれていたわけだが、その心身の練磨は出発式直後から始まった。本部道場横から6台のバスに分乗した参加者は、夜更けに箱根路を越えて翌13日午前11時伊勢神宮着の予定。むろん睡眠をとってもいいわけだが、約3分の1が女子部員だったから、これは相当に厳しい錬成の一つといえる。心を引きしめていかなければ、疲労に倒れる者も出たことだろう。

 ところが、清水市内の交通事故のため約2時間遅れて伊勢神宮外宮前に着いたとき、落伍者はゼロ。全員平然と関西地区の参加者と合流して、たのもしいところをみせた。

 今回の参加者のうち約半数が、三聖地巡拝は初めてだった。こんなところにも巡拝錬成の意義があったが、初参加者の緊張もまじって行進も整然としていた。”三聖地巡拝錬成・解脱会青年部”と染め抜いた横幕を先頭に、続いて男女青年部旗が進み、隊列の中間では”建国記念日は2月11日に定めましょう”と朱で書かれた旗が印象的。本会の前途ある未来を、そのまま象徴しているかのような光景だった。神宮側の話では、夏にしては比較的参拝者の多い日だということだったが、炎天下、この一般の人たちが立ちどまって隊列を見送っていた。

 今回は、時間の関係で五十鈴川でのお浄めは行われなかったが、内宮、外宮とも炎天下を全員心を正して参拝していた。春の巡拝とちがって、暑さが錬成を厳しくしたが、それぞれ歩調も乱さずに参拝をすませたころなど立派だった。

 伊勢神宮の参拝を終えると、こんどはこの疲れを癒すかのような行事が組まれていた。内宮前から鳥羽までのスカイライン観光と鳥羽湾めぐりがそれ。涼風の吹きこむ峠から鳥羽湾を眺めて、各車内から歓声がわき、歌声が響く。ちょうど快晴に恵まれて、湾上の船影もあざやか。「ハワイが見える!」などと冗談も飛び出すほどだった。また真珠島では海女の実演に瞳を凝らし、疲れを忘れたなごやかなひとときだった。

​ 三聖地巡拝錬成の圧巻は、鳥羽ビーチランドの大広間で開かれた各地区交歓会だった。これまで、地区役員の会うことは何度かあったが、各地区の部員が一同に会したのははじめてである。

 交歓会は7時から始められた。ステージの上に、地区部長が登場して、それぞれ地区名産物を定められた相手地区に贈り、そのたびに大広間の観客席では部員が規律して向かいあい、あいさつをする。これをたたえて参加部員から拍手が鳴り響く。和気あいあいとした各地区交歓会だった。

 つづいて演芸コンクールが開かれ、参加500名の部員はなごやかな雰囲気の中にそれぞれ親睦を深めていった。この演芸コンクールは本部の「バンド東京」の演奏で歌謡曲から歌曲の合唱、また浪曲や奇術も飛び出すなど各地区とも意匠を凝らし、拍手のうちにたのしいひとときをくりひろげた。中でも目立ったのは、和歌山地区の女子部員4名による合唱。赤と青の色調で衣裳をととのえ、照明に映える舞台上でひときわ鮮やかだった。​また同地区は女子部員も白ブラウス白ズボン姿、胸にマーク「w」をつけて参加していたが、今回の参加地区で全員の服装を統一したのは和歌山地区だけで、統率のとれた同地区の動きは参加者一同の目をみはらせた。

 鳥羽ビーチランドで一泊した巡拝錬成団は、翌14日、バス8台を連ねて一路橿原へ。前日の炎天とは打って変わって、小雨が朝から降り続いてすがすがしく、まるで参加者をねぎらうようだった。

 橿原神宮到着は、午前11時30分。予定よりも30分早く「これも金剛さまのお蔭」とつぶやいて合掌する女子部員の姿もあり、いかにも本会青年部の行事らしい礼儀正しさが随所に見られていた。巡拝錬成団は広場で隊列を整え、ふたたび「三聖地巡拝錬成・解脱会青年部」の横幕を先頭に本殿前まで行進。相も変わらぬ整然とした行進に、一般の参拝者たちがふり返っていた。

 橿原神宮は神武天皇の橿原宮後に建立されたもので、いわば我が国発祥の地でもある。建国記念日も復活しつつあるこんにち、巡拝錬成団の一人一人がそれぞれ輝かしい祖国の伝統を胸に刻みつけたことだろう。本殿前をあとにした団員たちの瞳は、きっぱりと輝いていた。

 橿原神宮を出発したのは午後2時。一路大和平野を走りぬけ、泉涌寺に到着したのが午後2時。夏の暑さの酷しさで知られる京都も、この日ばかりは曇り勝ちの空で気温も27、8度。岡野団長はじめ役員も”金剛さまが青年部員の意気をくんで下さったのだ”と感謝していた。

 巡拝団はここで本殿、御陵、宝塔にそれぞれ参拝。霊明殿であいさつされた平野泉涌寺長老猊下は「みなさんの意気をたたえるとともにここで金剛尊者の無声の大説法を得られるよう祈りたい」と本会青年部への期待をこめた挨拶をされた。

​ 宝塔前では全員広場に整列して尊者に巡拝錬成を奉告したのち、つつしんで拝礼行事。3日間の巡拝錬成の1コマ1コマを胸に刻んで念唱する参加者の般若心経は、空高くこだまして、第1回三聖地巡拝錬成の最後を飾った。