三聖地 ふしぎ発見!

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第12問の正解発表

第12問

解脱金剛宝塔の中心石は1.5m四方で、高さは4.5mの本御影石で作られています。重さはどのくらいでしょう。

正解は、

「3:40トン」

【解説】
金剛さまが御遷化された昭和23年は、戦後の混乱期であり、またGHQ(※1)の統制下の時代でした。この時代、民間人が自由に物を運搬することが難しい時代でもありました。そうした中で始まったのが、金剛宝塔建立のための募金活動でした。(中略)
勧募が盛り上がりを見せていた昭和26年頃より、輸送関係の緩和が進み、この好機を逃すまいと、当時、泉涌寺長老になられた平野龍法長老猊下と宝塔建立に関する話し合いがもたれ、長老より「全山挙げてこれに協力する」とのお言葉を頂戴することができました。

※1「GHQ」:General Headquarters。連合国軍最高司令官総司令部。1945 年(昭和 20))アメリカ政府が設置した対日占領政策の実施機関。(出典 三省堂 大辞林 第三版)

※参考:「解脱金剛宝塔建立の軌跡」

どうして皇室の菩提寺である御寺泉涌寺に宝塔があるのかな?

 金剛さまは最晩年にあたる昭和23年7月頃から、「会長は泉山(泉涌寺)の一角に境域を賜わり、そこに鎮まる」と語られるようになられ、また親友であり顧問であった小林信吉先生を呼ばれて、「頼みがある。わしが死んだら適当な時期に泉山に葬ってもらいたい。これだけは頼んでおく」と言われたと伝えられています。

 そして9月2日に泉涌寺の平野龍法寺務長が来訪された時には、「死した後も泉山を護持し奉らん」との信念を吐露され、その熱意に打たれた平野寺務長は話し合いや手続き等は必要だが、その誠心に添うようにと約束して帰られました。それから程なく、経蔵の場所を除く約一千坪の土地の永代使用を許すとの書状が届き、それを読み終えた金剛さまは、落涙(らくるい)され、「会長は百姓の倅(せがれ)として生まれ、宮家から御召(おめし)の栄にあずかったことだけでも身に余る光栄であった。今回、皇陵の近くに鎮まる土地を与えられ、悠久に御歴代天皇陵を護持させていただけることは、会長はもとより全国会員の名誉これに過ぐるものはない」と語られました。また9月15日の感謝日には、喜びを満面に堪えながら、御寺泉涌寺に鎮まり永遠に護持し奉ることを発表されています。さらに御自らが鎮まる形として塔石の土台には自然石を用いてセメントで接着せよなど細かいご指示を遺されたそうです。

 昭和27年6月より工事が開始され、宝塔の用材として瀬戸内海にある北木島産の本御影石が使用されており、中心石は、5尺四角の15尺(縦横約1m50㎝四方、高さ約4m50㎝)に仕上げるために、ひと回り大きいサイズである6尺四角の16尺(縦横約1m80㎝四方、高さ約4m80㎝)の原石が必要でした。昭和27年4月頃から中心石の切り出し作業が始まりました。(中略)
 中心石の重量は、約40トン、現代と比べて重機が発達してなかった昭和27年にこの巨石を輸送することは困難を極めました。

※参考:「解脱金剛宝塔建立の軌跡」

どうやって運んだのかな?

船で運び、トレーラーで運ばれ途中タイヤがパンクしたりと多くの困難がありながら現在の位置に建立されました。
中心石には、当時の平野長老が揮毫(きごう)され「解脱金剛」の大文字が彫刻されました。
かくして、昭和27年10月31日に解脱金剛宝塔は、樹立されました。

※参考:「解脱金剛宝塔建立の軌跡」