「様々な思いやり」

青年副本部長 田中 智宏

 私の住む岐阜県のある中部地方や西日本では、平年より早い梅雨入りとなりましたが、皆さんはどの様にお過ごしでしょうか?

 間もなく一年の折り返し地点に入り、上半期が終わろうとしております。昨年師走に掲げた目標の進捗はいかがなものでしょうか?お互い様今一度振り返って見て、再度身も心も引き締めて参りましょう。


 最近、普段の生活の中で、何気無い細やかな思いやりの光景を目にすることが多くあります。車を止め横断歩道を渡らせてくれた車に向かい深々と頭を下げて「ありがとうございました。」と、小学生がお礼をしている、仕事中に見た光景や、お役目で移動している際に駅のホームで見た、新幹線の写真を撮っている子ども連れの家族に対し、運転手が汽笛を軽く鳴らし出発するシーン等、もしかしたらごく当たり前の光景なのかもしれませんが、私にとって大変重要な光景だと感じました。一つ一つの行動が相手を思いやる表現が、形として表れているからです。


 一方、中には相手を叱る事や指導という形で表す思いやりもあります。み教えを学ぶ私たちはご先祖様からお叱りを受けるとか、日々学ぶ支部の支部長さんからご指導頂く等、ありませんか?誰しもあるかと思います。それは、何故だと思いますか?今一度お互い様考えてみましょう。


 私は以前、支部で御五法修業を受けた時、田中家のご先祖様から「何事にも迷うな!日々、支部でお浄めの行をしなさい!」とお諭しを受けました。

 また支部長より、先日以下のようなご指導をいただきました。

 先祖界においても幾段階がある。高い位の段階に居られる先祖界からのご指導は、大変厳しく大きな試練のご指導をいただく。また、それに合わせて常に自分がみ教えに添った心を持ち、その心と一致したならば、初めてその先祖界との交流ができる。その先祖界からご指導いただく事は大変有難く勿体ない。しかし自身がその先祖と直接交流できるには程遠い心持ちであり、まだまだ未熟者である。お示しいただいたご指導を素直な心で受け止め、実行するかしないかで、今後の結果に大きな違いが出てくるし、お守りお力添えいただく働きも変わってくる。先ずは少しでも近づけるよう、与えられたご指導を即実行していく事だよ。

 私にとっては厳しいご指導ではありましたが、日々素直に実行し努力している最中です。


 私なりに思うのは、お諭しを受ける、ご指導頂くということは、決して自分のことが憎くて困らせているのでは無く、何かしら気づいて、人として器を大きくして欲しいからこその、思いやりであり、優しさであり親心なのだと感じます。また、器を大きくしていき、社会や人様の為により一層お役に立てる人間として働いて欲しいからこそ、また、悪い癖を正して欲しいと願われているからなのだと思います。

 現代社会で生活していく中、全てを有り難く受け止めて、共々に支部への足運びを行い、自分を磨き、精進努力して参りましょう!