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きっかけは〇〇!!

 武笠 太一 青年副本部長

※お役目は令和3,4年度のもの

 

 私が所属している川崎坂戸支部は、1944年1月に設立され、2022年で支部設立78年を迎えます。私自身は支部っ子で、小さい頃から解脱のみ教えがあり、学生時代は、自分のみ教えのルーツなど深く考えたことはありませんでした。大学生になってから参加した青年(コース)研修で、初めて御五法修業をさせていただき、先祖の存在を実感するようになり、真剣に解脱のみ教えを学ぶようになりました。その中で、我が家にどのようにして解脱のみ教えが入ってきたのかも、教えていただきました。

 かなり前の話になりますが、私の曾祖母である武笠コウは、夫を39歳にして亡くし、女手一つで、男の子4人を育てなければいけない状況になったそうです。当時14歳の長男(栄一)【→後に初代支部長】を頭に、育ち盛りの男の子を養っていくのは、相当に労がいる、厳しい環境だったといいます。そのような状況のなか、兄弟がチフスに罹(かか)ってしまったそうです。お金も薬もままならなかった時代に、苦慮(くりょ)していると、コウの実家である小嶋家があった新城という場所の近くに支部があり、そこにご縁があり、解脱を学ぶようになったといいます。

 その支部は、川崎新城支部で、坂戸支部の親支部でもあります。当時は金剛さまも度々訪れていただき、井上泉さんと共に、熱心に勉強をしていたそうです。

 その後、金剛さまのみ教えによって我が家は何とか持ち直し、スーパーマーケットや養豚業など、農家だけでなく、様々な事業を行えるようになりました。本当にお蔭様だと感じます。また曾祖母である武笠コウは熱血漢でも知られていたそうで、当時の村中に解脱のみ教えの素晴らしさを伝えたそうです。そして土地にも解脱のみ教えが広がり、農家が多かった坂戸地区は、殆どの家庭が解脱のみ教えを学んでいたそうです。今でも私が御五法修業の際に曾祖母が下がられた時は、熱く厳しいご指導を受けています。

 坂戸支部としては、戦時中、新城支部での感謝会が出来ない状況があり、坂戸で座談会を始めてくれないか、という依頼で、座談会から始まったのが、坂戸支部の成り立ちだそうです。その後、初代支部長から、今の支部長へと引き継がれ、今日に至ります。

 もし、そこで導かれていなかったら、解脱の勉強を始めていなかったら、私自身もいなかったと思います。そう考えると、曾祖母から祖父母、両親、私へと解脱の教えを繋げて下さったご先祖さま、神々さま、そして、み教えを遺していただいた金剛さまに感謝申し上げます。これからは金剛さまにその恩返しの行をさせていただき、一人でも多くの方をみ教えに導き、教えの素晴らしさを伝えていきたいと感じます。また川崎坂戸支部を良い支部にしていけるよう努力精進させていただきます。

 ありがとうございました。

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