関西ブロック議長 大坪智司
私は30歳の時に今の家業から離れる事がありました。結婚という人生の節目を迎えた当初、当時の景気が悪かったということから、親から「今のままではお前に渡せる給料はないからよそで働いてくれんか?」と言われました。俗に言う解雇宣言でした。
私は、すぐにハローワークに行き仕事を探しました。その時は、金属加工の職場を探しましたが、世の中も状況は一緒で、私の希望に合う会社は一社もありませんでした。
日がたって、再度ハローワークに行くと一社だけ募集していました。その時は、藁(わら)にも縋(すが)る思いで応募し、無事に受かる事が出来ました。ですが、その会社の社長は私がある程度たてば会社を辞めて家業に戻ると思っていたようで、ほぼ毎日のように社長との面談があり「大坪は家業に帰れば何がしたいんや?」という内容ばかり聞かれました。そのお蔭で「今できる事は何か?」を考え続ける癖が出来、今になれば本当に感謝なのですが、当時はその質問に答えられず悶々とした日々が続いていました。
そのような日々が続いたストレスからか、寝ている時に歯ぎしりが酷(ひど)く、暴れる事が増えていきました。そのせいでカミさんに怖い思いをさせてしまいました。
このままではいけないと思い、翌日に支部に行ってお浄めをさせていただこうと思いました。勤めていた会社からの支部までは1時間位かかる距離にあり、残業してから支部に向かった事もあり、支部に着いたのは22時という時間になっていました。そんな時間でも支部長は私を迎え入れていただき、理由を話した後、お浄めをさせていただくことができました。
その時、支部長が何も言わず静かに話を聞いて下さったことと、お浄めのお蔭でとても気持ちが楽になりました。このお浄めがなければストレスを溜めて夜中になると暴れてしまうという事が続いていたかもしれません。最悪の場合は夫の暴力が続くという理由で離婚していたかもしれません。本当に感謝でしかありません。
また、支部長はお浄めをさせていただけたことに加え、家庭での天茶のご供養もご指導くださりました。本当に支部の存在のありがたさを痛感した出来事でした。
お蔭様で現在では、実家に戻り家業を引き継いでいます。
この体験で学んだ支部の存在のありがたさや、お浄めや天茶供養の尊さを次世代の子達に伝えていき、私自身も日々精進させていただければと思います。
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