三聖地への想い

   東京ブロック議長 宇佐見 和孝

 私は、幼少期から三聖地に行かせてもらっており昔を思い出しても、最近の三聖地も含めてすべて楽しい思い出ばかりです。

 しかし暑かったり、寝苦しかったり、渋滞で帰り道が混んでしまったりと、大変なこともあるのですが、なぜかその思い出より、楽しかったことが圧倒的に上回ります。

 その理由を考えた際、仲間と一緒に行けるからではないかと思います。共に同じみ教えを学ぶ仲間と共通の気持ちで聖地に行かせてもらい、国恩に感謝申しあげ、世界平和を祈り、さらには仲間とともに楽しめるという貴重な機会は、解脱会の三聖地巡拝錬成だけではないのかとも思います。

 その中でも私の中で強く三聖地に行かせてもらいよかったと思った体験は、当時小学3年生に行かせてもらった時のエピソードです。伊勢神宮に着く前の4時~5時台に朝日が昇る瞬間をじっくり見て子どもながらに感銘を受け、さらに三聖地パンフレットには「伊勢神宮は氏神の総氏神である。食を司る豊受大御神が祭られ、日々生かされている、食事させていただける感謝。太陽大自然、国土の恩である」と書いてあるところを何度も読み返しました。子どもながらに知識ではなく何か強く惹かれるものを感じ、聖地の素晴らしさ、日常ではきっと気づけえないことを体感したのではないかと思います。それ以来毎度伊勢に着く前の4時から5時にかけての時間はそのことを思い出し、パンフレットを読み返しています。また学びだけでなく帰路のバスでは大人は寝入っている中、トランプゲームを友達と飽きずに4、5時間続けて楽しみ、子どもだった私はあまりに楽しかったので、このままバスが到着地に着かなくてずっとこのまま楽しい時間が続けばいいのになと思った程です。

 私の当時のエピソードを2つ振り返りましたが、両方ともに得られるのは現地に参加するバスの中で得た体験でした。このコロナ禍で三聖地にいくことへの壁もあるかもしれません。壁はあることはやむをえませんが、そこを乗り越えて見える世界、壁を超えてでも聖地に行かせていただく体験があるかもしれません。私の先輩方から昔、行かせていただくと決めれば道は開ける!というエピソードを多くの方から聞きました。自身で決意を固め、行かせてもらうように、心作り、身体作り、準備を共々にさせていただきましょう!

 コロナ禍であってもなくても、聖地はそこにあって尊いものは尊いままで、変わりません。私たちも大切なものは、変えず逆境を乗り越え、共に伊勢、橿原、泉山、金剛宝塔前に参集しましょう!