埼玉教区 川越元町支部
大賀 雅恵(おおが まさえ)さん
令和3年12月北関東ブロック青年講座にて
おはようございます。
埼玉教区川越元町支部の大賀雅恵です。
初めて「青年の主張」のお役目にお使いいただきますので、お聞き苦しいところもあるかと思いますが、どうぞ宜しくお願いします。
改めて自己紹介をさせていただきます。
私は現在、青年部のお役目として教区では書記、支部では班長をしています。家の近所の珈琲店に勤務している28歳です。両親と妹二人の五人家族で、生まれてからずっと家族と一緒に埼玉県川越市に住んでいます。
大賀家では曽祖父の代から支部をやらせていただいており、私自身は解脱4世です。ですので物心つく前から解脱会の行事や支部行事には参加していました。しかし青年部活動はというと、小学校までは親に連れられて青年講座に参加するくらいで、あまり積極的には参加していませんでした。
いざ中学生になり、本格的に青年部活動に参加して行こうと決意した矢先、突然の体調不良に襲われました。頭痛、腰痛、倦怠感、貧血等があり朝起きられず、学校にも遅刻が多くなっていきました。しばらく具合が悪い状態が続いたので、病院に行きMRIなど様々な検査をしましたが原因は分かりませんでした。様子をみている間にも病状は悪化して、少し立ち上がるだけで立ちくらみがしたり、坐骨神経痛になり長時間座っていることができなくなったため、学校は休みがちになってしまいました。
そんな中学生生活でしたので、勉強が遅れ、上手く行かない事に悶々とした日々もありましたが、家族や友達に助けられて、体調は良くないけれど楽しい学生生活をなんとか送り、無事に中学校を卒業することができました。また、解脱会の活動は、支部行事には参加できましたが、青年部活動や六大行事にはなかなか参加することができなくなってしまいました。
そして、病気が良くならないままではありましたが、中学校の先生方や受験した高校の理解のお蔭で高校には入ることができました。しかし、環境が変わっても体調不良からやはり中々学校には行けず、どうしようかと思っていたそんな時、出版社に勤めていた叔母が、私の症状と似た病気が書かれた新刊本を見つけて教えてくれました。それは「起立性調節障害」という病気について書かれた本でした。
その本に書かれていたクリニックに受診すると、やはり起立性調節障害だと診断されました。その病気とは自律神経系の異常により循環器系の調節がうまくいかなくなる病気で、その事により朝起きられない、急な貧血で倒れてしまう、血流が悪くなり頭痛、肩こり、腰痛などの症状が出るもので思春期に多く発症し大人になると治まることが多い病気でした。しかし私の場合は生まれつきこの病気があったと思われると診断されました。そのため「治ると言うことはなく上手く付き合っていくしかない、高校に入る前なら受験を辞めるよう言っていた、危ないので一人で外に出ないように」とクリニックの先生から言われてしまいました。
すぐ治るものではないことがわかり、高校を一年で中退することにしました。病気が判明したことで私自身、今までのモヤモヤが晴れ、心機一転と晴れやかな気持ちで中退を決意できていたので、高校生活への心残りはありませんでした。しかし、学校へ報告に行った時に、担任の先生から涙ながらに留年や休学を勧められた時は、それまではあまり思ってはいなかったのですが、自分がとても人との縁に恵まれているなと気づき、嬉しかったです。
高校中退後は家でゆっくり過ごしながら、担任の先生から教えてもらった高卒認定試験、いわゆる大検を取得するため従姉妹のお姉さんや支部の会員さんに協力してもらいながら勉強することにしました。
それ以外には体調が良い時に母と散歩がてら1日、15日の氏神様参りやお墓参りなど今まであまりできなかった事もするようになり、前よりも解脱会の行事や支部行事に参加できるようになっていきました。
そして高校中退から一年後、高卒認定試験を受け無事合格することができました。
それから更に2年たった19歳になる年に、クリニックの先生から病状が少し良くなったので、一人で外に出ていいと言われ、やっと一人で行動できるようになりました。そこで何か始めようかと思いましたが、なかなかいい案が思いつかず行動に移せないでいました。
そんなある日、1日15日以外でもよく徒歩で行けるようになった氏神様である川越氷川神社に母を誘ってお参りに行ったあと、ランチをしていた時に「近所のあぶり珈琲で短時間のアルバイトを募集していたよ。やってみたら?」と母に言われました。あぶり珈琲というのは家から徒歩5分にある私が幼い頃から母に連れられてよく行っていた喫茶店です。
母の言葉を聞いた瞬間やる気になり、その足で履歴書を購入しました。お店に電話したところその日のうちに面接をしていただけることとなりました。履歴書の志望理由には「社会復帰のリハビリのため」と正直に記入しました。指定された時間に面接に行くとすぐに「いつから入れますか?」と聞かれて、そのまま採用となりました。
いつもはよくよく考えてから行動する私が、たった半日で仕事を決めるなんて、その時の自分の行動力に驚かされましたが、今思うと導いてもらったのだと思います。それは幼い時から母に氏神様やご霊地に行くと「世のため人のためにお使い頂ける人になれるようお守りお導きのほど宜しくお願いします」とお参りするように教えられていたためです。お導きにより、とても良いタイミングで働く機会を与えていただけたなと感謝しています。
あぶり珈琲で勤めて初めの頃は、5時間程働く予定でしたが、途中で具合が悪くなり2時間ほどに変更してもらい、できる仕事も限られていて大変迷惑をかけました。
マスターや他のスタッフさんの計らいにより、体の調子に合わせてゆっくり仕事を教えてもらい、徐々に長い時間働けるようになっていきました。それと同時に支部では御五法修業を月1回させていただくことにしました。
あぶり珈琲での仕事は接客が主なので、お客様とのやりとりで悩む事も多々ありましたが、御五法修業の中で仕事場の土地供養をする事とスタッフのご先祖様、守護神様、守護霊様の天茶供養をするように勉強をいただき、実践するようにすると徐々に悩んでいたことも良い方向に進んでいくのをありありと実感できました。
あぶり珈琲には「coffee豆蔵」というテイクアウト専門の姉妹店があるのですが、勤めて2年を過ぎた頃には他のスタッフと同じように、そちらにも勤めるようになっていきました。
体力がついたことと、病気と上手く付き合っていけるようになった事で青年部行事や奉仕にも参加できるようになっていき、支部副班長を経て今では支部班長と教区書記の2つのお役目にお使いいただけるまでになりました。
あぶり珈琲に勤めて来年で10年目になります。今では日によりますが、6時間から8時間ほど働けるようになりました。私より後から入ったスタッフさんの方が多くなり、教わる立場から教える立場になってきたと感じます。最近では、マスターがいない少しの時間ですが、お店を任される事も増えてきました。
まだまだ体の心配はありますが、仕事の楽しさに気づく事ができ、働ける体にさせていただいたことにとても感謝しています。これからも世のため人のためにお使い頂ける人になれるよう頑張って行きたいと思います。
皆さんも川越に来たときはぜひあぶり珈琲に寄ってもらえると、嬉しいです。観光に便利な場所なので、コーヒー好きな方には休憩するのにオススメです。
これで私の青年の主張を終わりにさせていただきます。ありがとうございました。
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