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青年の主張 長谷 吉泰

 大阪教区 大阪瓦屋町支部

長谷 吉泰(はせ よしやす)さん

令和3年12月関西ブロック青年講座にて


 私は現在社会人2年目で組み込み開発系のシステムエンジニアをしています。具体的に説明するとリモートカメラと呼ばれる監視カメラやライブなどに使われるものの、電源制御やアップデート機能などのシステム部分の開発をしています。

 まず大学生から社会人になって思ったのは圧倒的に遊べる時間が少なくなることです。週5日働いて土日は友達と遊んでまた月曜日、いつ休んだらいいかわからないです。はじめの頃は土日が来るのが嬉しくてたまらなかったのですが、最近はもう金曜日から月曜日が来てしまう恐怖に震えてます。といっても仕事が嫌いなわけではないです。やりがいがあって楽しい仕事だと思っています。

 もう一点変わったことといえば大学生の時よりお金が使えるようになったことです。美味しいものを食べるのがとても楽しく感じます。外食してると自分な好きなものばかり食べているせいか、家でよくかぼちゃの煮物が出てくるんですけど、あれがどうしても物理的に食べられなくて文句を言ってしまいます。ここまでつらつらと不平不満を述べてきましたが、今日伝えたい内容に関係することなので誇張して文句を垂れてます。嫌いにならないでください。

 先月「ONODA一万夜を越えて」という映画を見てきました。フランス・ドイツ・イタリア・日本の合作で戦争を題材にした作品で、3時間の大作です。他の閲覧客は高齢の方が多く後半トイレを我慢できるのか心配していましたが、僕の膀胱が耐えられず真っ先にエンドロールで退席してしまいました。不甲斐ないです。

 関係ない話はさておき、この映画は太平洋戦争終結後も任務解除の命令を受けられず、フィリピン・ルバング島で孤独な日々を過ごし、約30年後の1974年に51歳で日本に帰還した小野田旧陸軍少尉の物語で、終戦間近の1944年、陸軍中野学校二俣分校で秘密戦の特殊訓練を受けていた小野田さんは、劣勢のフィリピン・ルバング島で援軍部隊が戻るまでゲリラ戦を指揮するよう命じられるます。出発前、教官からは「君たちには、死ぬ権利はない」と言い渡され、玉砕の許されない小野田さんは、何が起きても必ず生き延びなくてはなりませんでした。ルバング島の過酷なジャングルの中で食糧も不足し、仲間たちは飢えや病気、更には現地民の攻撃で次々と仲間を失っていきます。それでも日本のためになんとしてでも自分の任務を全うしようとする、彼の姿はとても考えさせられるものがありました。この映画を見たとき自分は現状に不満だけを述べなんの努力もせず文句だけを言う人間になっていたんだなと深く反省しました。

 私のひいおじいさんはフィリピンで戦死しています。若くして職業選択の自由もなく。美味しい食べ物どころか生きていくための食料すら足りない。遊ぶ時間どころか好きなことをする時間もない。更には自分の大切な仲間も明日にはいないかもしれない。そんな状況で私達のために尽くしてくれたご先祖様達に対して、失礼なことをしてしまったなと思いました。

 私だけかもしれませんが、どうしても幸せを追い求め続けて生きてしまうのですが、今ある幸せはご先祖様や周りの環境が与えてくれたものだと思うので、それに感謝して周りの人を幸せにできるような人間になりたいと思いました。

以上で青年の主張を終わります。

 ご静聴ありがとうございました。

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