青年の主張

令和元年5月度 関西ブロック青年講座にて

神戸灘支部

阪田 大樹

 私は今年から神戸教区の部長としてお役目にお使いいただくことになりました。これから部長としてどういったことを心掛けて活動していきたいかを体験を交えて話させていただこうと思います。

 その体験は2つあります。まず初めに、私が学生の頃の体験から話させていただこうと思います。私は、科学技術高校という工業系の高校に進学させていただき、卒業後就職するため専門的な知識を中心に勉強をさせていただいていました。部活動ではハンドボール部に所属させていただいていました。学校での日常生活に特にこれといった問題はなかったのですが、部活動での人間関係がうまくいかず、仲間との付き合い方に悩んでいました。その後我慢して部活動を続けるも仲間との関係は変わらず、悩んだ結果部活動を辞める決断をしました。部活動でのことがあり、人と関わるということに対して臆病になっていた私に、支部長から「支部班長をしてくれないか」とお話をいただき、班長としてお使いいただくことになりました。仲間と付き合うことに対して臆病だった私が、班長として班長会や、教区行事に参加していくうちに、自然と教区内で仲間ができ、気付けば仲間と接することが楽しく、その時間は今でも大切な思い出として残っています。こうして私自身気付きがあったのも、当時の部長、副部長が教区行事や、班長として慣れない私に優しく接してくれ、参加者だけでなく役員も楽しめる環境を作ってくれたおかげだと思います。この体験を踏まえて、来てくれる部員さん、役員も含めて「楽しかった」、「また来たい」と言ってもらえるような活動と、その後も繋がり続けられるきっかけを作っていきたいと思います。

 2つ目は最近体験させていただき感じたことを話させていただきたいと思います。

 今年に入ってすぐに祖母が心不全で急遽入院することになりました。病院へ搬送されすぐに処置が行われ、一命は取り留められましたが、自分の力で心臓を動かすことができない状態で、意識もなく、話すことができないようになってしまいました。その時点で医者からもう長くは生きられないことが告げられ、病院に泊まり込み、少しでも長く祖母との時間を過ごせるようにしました。たくさんの方から「当たり前は当たり前じゃない」ということを言われてきましたが、今回の祖母の件を通して、今まであたり前のように話せていた祖母と話せなくなり、話したくても話せないことがこんなにも辛く、苦しいことであり、普段私が如何に感謝の生活から遠ざかっていたかを、痛感させていただきました。

 その後は、支部で祖母の平癒祈願のご供養をさせていただきました。すると一度は医者から、もう長くはないと告げられていましたが、ペースメーカーによって人工的に動かされていた心臓が、少しずつ自分の力で動かせるようになり、今では意識も戻り、話せるまで状態が良くなりました。祖母自身の生きようとする力や、医者の方々の懸命な処置もありましたが、ご供養をさせていただくことで、少しでも目に見えない力で祖母の背中を押すことができたのではないかと思い、ご供養をさせていただくことの大切さを、身をもって学ばせていただきました。

 2つの体験から、参加してくれる部員さんと役員が楽しめる活動を行うとともに、目の前に起こる一つひとつの出来事を、当たり前と思わず、しっかり感謝できる部長になりたいと思います。青年部長としてわからないこともあり、大変なことも多いかと思いますが、何事も感謝で受け取らせていただき、よりよい神戸教区にしていきたいと思います。