青年の主張

令和元年6月度 東京ブロック青年講座にて

東京第6教区・南千住支部 藤ノ木圭太

 皆様、改めましてこんにちは。

 本日は、この様な機会を与えていただき、また、皆様の貴重なお時間をいただき、令和初の青年の主張として私の話をさせていただくことを、誠にありがたく思っております。

 まずは、簡単に自己紹介をさせていただきます。私は、1993年に埼玉県春日部市で生まれ、今年で26歳になります。母方の実家が支部であったこともあり、幼いころから御神前や解脱会の存在を身近に感じて育ってきました。しかし、高校生までは東京に住んでいなかったこと、それ以降も学業や部活動等が非常に忙しかったこともあり、青年部活動に参加するようになったのは昨年の9月からというかなり遅咲きタイプの人間です。ですが、今では「(自称)6教区の最終兵器」として、教区問わず多くの方々に支えられながら、楽しくかつ真面目に学ばせていただいています。

 仕事についてですが、昨年度までは横浜市役所の財政局財政課というところで働かせていただいておりましたが、4月からは、ご縁がありまして、財務省理財局国債企画課というところで働かせていただいております。所属元の地方自治体とは異なる、我が国の中枢を担う職員の一員として働かせていただいていることに感謝の気持ちを抱きつつ、慣れない職場・初めての仕事に苦労しながらも、周囲の方々から刺激をもらいながら、日々生活しております。

 私の紹介はこの程度にし、本日は「私がこれまで解脱とどのように向き合ってきたか、今後どのように向き合っていきたいか」について、お話しさせていただこうと思います。先ほども申し上げましたが、母方の実家が支部であったため、夏やお正月に帰省する度、教えられるまでもなく自然と御神前や仏壇に手を合わせる習慣が根付いていました。しかし、実際のところ小学生~中学生の頃においては、解脱の「げ」の字も頭にありませんでした。当時は、サッカーで怪我をしたりすると祖母に御修業をしてもらい、どのように行動すべきかアドバイスをもらう、言い方は悪いですが「ツール」のようなもの、それが「解脱」でした。

 そんな私ですが、高校に進学するタイミングで東京に引っ越してきたことがきっかけで、少しずつ解脱に関わりを持つようになります。転勤族で、東京の高校に関する知識がなかったうえに都立高校の受験に失敗した私は、結果的に「幼馴染が通っているから」というだけの理由で選んだ私立高校に進学することになりました。何気なく選んだ高校は、毎週朝礼で座禅から始まり般若心経を読経したり、比叡山延暦寺での宿泊研修があったりと、意図せずして3年間仏教に触れる事となります。その頃は、部活動が忙しかった関係もあり、青年部活動には全く出席していませんでしたが、般若心経は自然と暗唱できるようになっておりました。その後、大学に進学した私ですが、学業とサークル活動・アルバイトに追われ、相変わらず青年部活動には参加しておらず、親会の三聖地巡拝錬成に祖母の付き添いとして同行していた程度でした。この頃の私は、教師になることを志しており、教育実習まで体験しましたが、そこで授業の後には部活動の指導、長期休暇にも部活動の遠征や合宿でなかなか休みが取れない教師という仕事の大変さを痛感した私は、「ワークライフバランスが取れている仕事がしたい」と考えるようになり、周りの友人はみんな就職活動を終え遊んでいる中、大学4年の11月に公務員志望へと方向転換をしました。それはすなわち、1年間の就職浪人が決定するということでした。両親に頭を下げ、実家にいながら予備校のお金を出してもらっているからには、絶対に1回で合格しなければならないと思っていた私は、毎日死ぬ気で勉強しました。それと同時に、祖母から言われたからということもありますが、氏神様に足を運ぶことも日課にしました。そういった努力の甲斐もあり、横浜市役所から内定をいただくことができました。なんといっても、合格発表の翌日から三聖地巡拝錬成というスケジュールになっており、御礼をさせていただくことができたことには「お導き」を感じざるを得ませんでした。

 今になったからこそ感じることではありますが、私が就職浪人したことにはもう1つ理由があったと思っています。私が就職浪人をしていたこの頃、南千住支部の支部長をしていた祖父の体調が思わしくなく、入退院を繰り返していました。どこに行くにも祖母の支えがないといけない状況でしたので、内定をもらって以降、比較的時間に余裕があった私は祖父と過ごす時間が非常に多くなっていました。祖父が亡くなる前日、物を食べる力もないような状況にも関わらず、私がおかゆをスプーンで口元まで運ぶと、どこか嬉しそうに食べてくれたことを非常に鮮明に覚えています。その翌日、家族全員に見守られながら祖父は静かに息を引き取りましたが、その時に私は、「就職浪人したこの1年間は、祖父のお世話をするという使命がきっとあったのだ」と感じました。

 祖父が亡くなって以降、祖母が支部長を引き継ぎましたが、祖父が守ってきた南千住支部をいかにして守っていくかという事を考えた時に、私が真剣に解脱を学ばなくてはいけないと思いました。毎月の青年会も、現在は荒川支部さんと合同で行わせていただいていますが、南千住支部の副班長として、もっと南千住支部の行事や活動も盛り上げていかなくてはならないと感じています。また、先日は教区のスポーツ大会を企画しましたが、そういったイベントを企画するほか、他教区の青年部との交流等も増やしていくことで、6教区内をこれまで以上に明るく楽しい雰囲気にするため、ムードメーカー的な役割を担っていきたいと考えています。そのうえで、これまであまり奉仕や行事に参加してこなかった人も、参加したくなるような青年部を作っていきたいと思っています。

 私自身、毎月の青年講座をはじめ、各種青年部活動(もちろん飲み会にも)に積極的に参加し、自分の中で変わったと感じる点があります。それは、「物の見方や考え方」です。昔から、祖母や母親から「どんな事にも感謝の気持ちを持ち、おかげさまの精神で生活しなさい。そうすれば、自分の求める結果が出なくとも、本当に今の自分にふさわしい道に導いてもらえるから。」と言われて育ってきました。解脱を学んでいると、「お導き」という言葉をよく耳にしますが、何か起きた事象についてお導きだと感じられることは、解脱を学んでいるからこそだと私は思います。実際に私自身も、何気なく進学した高校で般若心経を覚えることになったことや、横浜市役所から内定をもらった翌日から三聖地巡拝錬成があり御礼させていただけたこと、副班長のお役目をいただいたタイミングで横浜勤務から霞ヶ関勤務になったこと等は、お導きだと感じています。また、幼い頃はある意味「ツール」でしかなかった解脱が、「自分の心を育てる」ものになっていると思います。4月から職場が変わり、財務省での業務にも慣れていかなければなりませんが、その中で今の私に与えられたお役目を全うしつつ、感謝の気持ちとおかげさまの精神を忘れずに生活していきたいと思います。