青年の主張

令和元年9月

神静ブロック青年講座にて

神奈川教区・茅ヶ崎共恵町支部

佐々木 紫苑

 高校生から今現在のお話をしようと思います。

 保育園生のころからダンスを習っており、高校に入ってもダンスを続けたくてダンス部がある高校を選択しました。その学校は特別強い訳では無かったのですが、代が変わり私たちと一個上の先輩達の代に変わったとき、部長になった先輩はいきなり「これから全国大会に行く」と宣言しました。その時、心の中では今までの練習の仕方で全国大会なんて行ける訳ないし、そもそも全国大会なんか行きたくないという気持ちが本音でした。しかし、今までの練習をガラっと変え、着々と私たちの技術力も上がり全国大会に行きたいという意欲がわき、県大会で1位を取ることが出来ました。そこで私は努力すれば叶うことと言霊の存在を知りました。

 そして、私たちの代に変わったとき、先輩たちがせっかく築き上げたものを壊してはいけないというプレッシャーがのしかかりました。全国大会の切符は県で3位内に入ることが条件で、みんな全国大会に行きたいという気持ちは一緒なのに何度も何度もぶつかりました。また、後輩との関係が、上手くいっていないところもあり、県大会の本番前日まで全員がそろって踊ることが出来ませんでした。

 全国大会に行くのはやはり簡単なことではなく私たちの結果は4位でした。全国大会へのチャンスは後1回だけに残されました。

 ですが、私は受験勉強と部活を両立することは無理だと思ったため、私自身が全国大会に行くという選択を諦め、受験勉強に専念することにしました。

 ダンス部は受験する子たちが少なかったですが、私のことを理解してくれていると勝手に思い込んでいました。夏休みに、私が受験勉強を専念していることを快く思っていない人がいて、私の悪口をきいた友達が悩んだ末に打ち明けてくれました。私は涙が止まりませんでした。

 今まで引退だけは一緒にしたいと思って席を置いておいたのにさっさと潔く引退すれば良かったと心の底から思いました。自分の気持ちをダンス部に話しましたが、心の中がモヤツクなかで私は皆と引退しました。

 ですが、部活だけで病んでいたのではなく受験でも悩まされていたので心の底からどん底の状態でした。私のことで初めて母が泣いているところを見て、申し訳のない気持ちからさらに悲しくなりました。

 志望校は1つだけで落ちたら絶対に浪人すると決めていましたが、センターが終わってから目まいが発症して普通に座って勉強することが出来ない状態までストレスで一杯でした。

 受験の結果はもちろんそんな状態で挑んだので思うような結果が出ませんでした。唯一受かった大学には行く気がなかったので合格通知を開けることもしませんでしたが、浪人は精神的に無理だったため、本当にギリギリまで悩んだ結果、その大学への進学を決めました。大学に入ると時間も心もゆとりが出来るようになりましたが、解脱への参加はしていませんでした。道田さんが、私に副班長のお役目のお話を下さり、そのきっかけで徐々に参加するようになりました。今まで絶対に参加したくなかったであろう青年コースへ参加してから解脱会への印象が変わり、友達もでき、参加するのが楽しいと感じることができています。

 今振り返れば、たった20年間の人生で1番悲しい出来事でした。今まで私は物事を強く言う側で相手を傷つけてしまうことがありましたが、その出来事で逆の立場になり両方の気持ちが分かるようになりました。

 今後は人への感謝と思いやりのある行動をここで一生懸命勉強しようと思います。

 未熟者ですがよろしくお願いします。