平成30年7月
東京ブロック青年講座にて
東京第3教区・三鷹南支部
吉野 翔太郎
みなさん、おはようございます。
東京第3教区の吉野翔太郎です。今回、この青年の主張のお役目を頂き、大変ありがたいことだと感じております。
少し自己紹介をさせていただきますと、私は現在、教区内副部長のお役目をさせていただいております。3教区では、例年、各支部の新年初会のあいさつ回りを部長が行っていますが、今年は、教区内副部長である私にも担当が割り当てられ、初めてお役目にお使いいただきました。
支部は三鷹南支部に所属しています。私の祖父が支部長であり、私は支部っ子としてこの世に生を受けました。ただ、自分が支部をお預かりする家であるという意識はもともと薄く、子どもの頃から家族で支部に行くと母親の先達で御神前にご挨拶することはありましたが、親族と解脱について具体的な話をすることはほとんどありませんでした。
幼稚園から小学3年生までは、父親の転勤の関係で静岡県の袋井市に住んでおり、そのころは、静岡袋井支部にお世話になりました。当時、よく母親に連れられて支部に通いましたが、そのとき、母親が、支部道場でなぜか泣いているのを見かけました。子どもながらに不思議に思いましたが、今、考えてみると、おそらく御五法修業をしていたのだと思います。
その後、東京に住み始めてからも、中学校を卒業するまでは、土日はスポーツクラブや部活に参加していたので、支部に行くのは2、3か月に1回程度しかありませんでした。
私が青年部活動に参加するようになったのは、高校生になってからです。きっかけは、支部長夫人が申し込んでいた三聖地巡拝錬成に参加したことです。そのときの三聖地巡拝錬成は、外の暑さやバス移動の大変さよりも、ホテルの部屋でのコミュニケーションがとても面白かったことを覚えています。
三聖地巡拝錬成が終わった後も、楽しかった印象があったので、大学に入学してから前期の部長である小林幸広さんからお誘いを受けて、青年部活動に関わるようになりました。そして、何度か会っているうちに、幸広さんを尊敬し、憧れるようになりました。
小林さんは、仕事やプライベートの時間を削ってまで支部回りや青年会回りを行っており、友達以外の誰かのために、そこまで無償で行動しようと考えたことがなかった当時の私にとって、なぜそうした行動できるのか、その理由を知りたいと思いました。当時の私が精神的に備えていなかったものを持っている人をもっと知りたい、単純に近くで幸広さんを手伝いたいという思いから、青年部活動に参加し始めたのです。
参加したてのころは、それまで三鷹南支部以外の青年部員や親会さんとは関わりがなかったため、ほとんどゼロから人間関係を構築する必要がありました。最初は緊張していて、なかなか周りの人に話しかける一歩を踏み出せないこともありました。自分を気にかけてくれる人がいないと感じ、青年講座等の行事の合間に実際に一人になってしまい、疎外感を味わうことがあったことも確かです。
ただ、そのとき気づいたのは、周りの人が私に対して行動を起こしてくれると期待して待っていることは、自分にとって何もメリットがないということでした。相手が行動を起こしてくれるのかどうか確証がないものを待つことは、むしろデメリットだと思いました。そしてなにより、それまでの経験上、自分から行動を起こした方が良い人間関係を築けた上に、相手の行動を待つことが性に合っていませんでした。
だからこそ、自分から行動を起こして、積極的に周りの青年部員や親会さんとコミュニケーションをとろうと思いました。そのときには3つのことを意識しました。
1つ目は、コミュニケーションをとるときに、相手の名前を多く言うこと。
2つ目は、相手が話をしているときは、真剣に、興味を持って聞く態勢をとること。
3つ目は、なるべく一緒にいる時間を長くすることを心がけること。
これらは特別なことではありません。みなさんもまた人と仲良くなっていく流れで自然と行われていることだと思います。
この3つを相手に対して意識的に働きかけることによって、3教区の人たちと仲良くなり、人となりを知ろうと思いました。それで分かったことは、みなさん陽気で、解脱の教えには真面目で、ユーモアが溢れている人たちの集団だということです。みなさんの懐(ふところ)に入ってみて気づいたのは、コミュニケーションをとる最初のきっかけを見つけるのが苦手な人が多かったということでした。
自分のコミュニケーションを意識した行動が功を奏したのか、徐々に3教区内で声をかけてもらえるようになり、そして、気づいたらいつのまにか、そこに自分の居場所ができていました。
最初は、幸広さんを手助けしたい、自分なりに手助けしやすい環境をつくりたいと思って始めた行動でしたが、結果的に周りの青年部員や親会さんに気にかけられ、よい関係を築くことができ、3教区が、自分にとって居心地の良い場所に変わっていきました。そして、青年部活動が楽しいと感じることが増え、以前より積極的に参加するようになり、それと比例して青年会の開催頻度も増えていきました。
その中で、色々とお役目を任せていただけるようにもなりました。いただいたお役目をひとつ挙げると、東京ブロックのこども会スタッフがあります。2014年から1期2年させていただきましたが、このお役目は、私にとって転機でした。
それまで生きてきて、自分より10歳以上離れている子どもたちと交流する機会がなかったうえ、なにより、私自身が子どもに対して苦手意識を持っていました。
そのため、苦手なことを克服するためにも真剣に挑戦してみようと思いました。毎月1回ある打ち合わせにも積極的に参加し、会議中には自分が感じたことや思ったことを提案させていただきました。
ただ、最初の頃は2つのことに苦労しました。
ひとつは、3教区の担当月でやる高学年・低学年向けのレクリエーションを考えることです。今までレクリエーションなんて考えた経験もなかったし、自分たちが考えたレクリエーションを子どもたちが楽しんでくれるか不安に感じました。
もうひとつは、自分自身が毎月の子ども会本番で楽しめていなかったことです。どうしても子どもたちに遠慮してしまって、自分から子どもたちの中に飛び込んでいく勇気がなかなか出ませんでした。
これらのことは私が子ども会担当を続けていく中で常につきまとっていた問題でしたが、何度も何度も本番の経験を重ねていく内に、だんだんとレクリエーションを考えることや子どもたちとふれ合えることを楽しいと感じるようになっていきました。
特に年2回ある低学年と高学年の合同の子ども会のレクリエーションは楽しかったです。みんなでアイディアを考え、ブラッシュアップし、必要なものをリストアップして、本番前日に事前準備をやって、本番を終えたときの達成感は忘れられないです。
そして、2016年にはカンボジア・スタディツアーにも参加させていただきました。
貧困という社会問題をテレビ越しや書籍で理解したつもりでカンボジアに行きましたが、私の想像よりもはるかに厳しい現実が存在することを肌で感じました。
私たちが訪問させてもらったご家庭は10人家族で、食事は朝と夕、米を食べるだけだと言っていました。そんな家族にとっての一番の望みがお腹一杯ご飯を食べることだと聞いたときには、胸が張り裂けそうになったことを、今でも鮮明に覚えています。
あくまでこれは私の意見ですが、私たちの日常生活では、自分の抱えている悩みや問題の対処にばかり目が行き、他人のことはおざなりにしがちです。
カンボジアから帰国してからは、そのときの経験を思い出して、日本で暮らせていることが世界の中でもどれだけ恵まれた環境なのかを忘れないためにも、奉仕活動を通して自分以外の誰かのために何かをさせていただくことで、自分の利益のためではなく、他人の利益ために行動できる人間になろうと思いました。
こうした色々な経験を青年部活動で得ることができました。もちろん、それ以外にも青年部活動を通じて手に入れたものはたくさんあります。例えば、青年部活動を通しての仲間、大人とのコミュニケーションの取り方、スケジュール管理、時間の使い方、素直さの大切さなど、多くのことを学ぶことができました。
なにより青年部活動を続けていて良かったと思えることは、自分という存在が誰かのために役に立てる実感を得られたことです。言い換えれば、自分自身の価値を周りから認められたいと願っていたことに気付くことができたとも言えます。
だからこそ、このことに気づいて以来、自分自身が今までしてもらって嬉しかったことを、周りの人たちにするよう心掛けるようになりました。そのおかげか以前よりも周りの人たちに対して感謝の気持ちを伝える回数が増えたと思います。
最後になりますが、今後の展望としては、教区の自分よりも下の世代の青年部員が参加して、楽しかったからまた参加したいと思ってもらえるように、もっと教区を盛り上げていきたいなと感じています。
ご清聴いただきありがとうございました。
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