青年の主張

令和元年11月度 北関東ブロック青年講座にて

埼玉教区 秩父中村支部

飯田梨華子

 みなさんこんにちは。私は埼玉教区秩父中村支部に所属しております、飯田梨華子です。支部の家に生まれ、4人兄弟の長女、解脱四世となります。お聞き苦しい点が多々あると思いますがお許しください。楽座でお聞きください。

 短大を卒業し、東京で4年間過ごした経験・現在についてお話しさせていただきます。

 短大卒業した3月に青年研修に参加させていただき、最終日、アルバイトでお世話になり、4月より栄養士として就職が決まっていたA病院から電話がありました。「飯田さん大変申し訳ないけど、5月よりケアセンターへ異動お願いします。」異動と言われ一瞬戸惑いましたが、これも何かの縁だと思いお受けいたしました。昔から憧れていた一人暮らしが出来る反面、仕事への不安がありました。

 4月に入り、栄養士としての仕事が始まり、主に早番、日勤、遅番があり一年目は食事の盛り付け、配膳が主な仕事となるため、早番と遅番の繰り返しで早番は朝4時30分に起床し出勤をしていました。アルバイトをしていた事もあり、入職して1ヶ月も経たずにリーダー業務を任され、業務内容として食事の盛り付け指示、配膳前にメニューの説明など配膳に関わる全般をまとめます。1年目の私がベテランのパートさんにどのように指示をしたら上手く仕事が回せるのか毎日悩みました。5月より同法人のケアセンターへ異動となり、異動前のA病院の先輩方から、普通は3年目以降の栄養士が異動する所。法人で一番怖い先輩がいるから頑張れと言われました。

 この瞬間、青年研修最終日に異動の話が来たのは金剛さまからの試練だと思いました。ケアセンターは病床数が少ないため、栄養部の人数も少ないです。1日の仕事を調理師、遅番、パートさん、栄養士の4人で行い、栄養士は日勤で業務内容として配膳、口の中で噛む、飲み込む力が衰え、普通の食事が食べられない方の食事作り、これを嚥下(えんげ)食作りと言います。翌日の仕込み、パソコンで食事のメニュー表、食数印刷、アレルギー対応、患者さんの食事変更処理など事務的業務などです。A病院では1年目は配膳、2年目は嚥下食作り、3年目は事務の仕事をこなします。食数は少ないですが、3年かけて覚えていくことを10日で覚えてほしいと言われました。10日後には一人立ちなので、メモを細かく書き、家に帰ってからも1日あった出来事を振り返り、翌日の1日の仕事内容をイメージトレーニングして仕事に行っていました。

 一人立ちの日は何とか何事もなく終わることができ、仕事にも慣れてきた頃、毎月行っているイベント食の担当者に加わることになりました。私はおやつの担当になり、1人分が100~120kcalでおやつを考えてほしいと言われ、試作をし、先輩栄養士や調理師さんに試食してもらいましたが一発で合格することなどなく、意見を頂き、作り直すの繰り返しでした。芋羊羹を作った際には、調理師さんから美味しいいくつかのお店の芋羊羹を頂き、これを食べて参考にして頑張れと言われたことを覚えています。怖い先輩は法人の栄養士の中で一番仕事ができ、仕事では厳しく指導してくださり、ロッカールームで隠れて泣いたこともありました。ですがプライベートでは仲良くしてくださり、よくご飯に行く仲でした。私は仕事ができ、プライベートをきっちり分けている先輩に憧れていました。

 ケアセンターに来てもうすぐで2年経つ頃、入職し1ヶ月いたA病院への異動が決まりました。異動後は、約2年ぶりのリーダー業務、嚥下食作成の早番、遅番の繰り返しの日々を送り、そんなある日、科長に呼び出され、「病院にテレビの取材が来ます。配膳は飯田さん達2人の様子を撮影してもらおうと思います。」と言われました。全国放送ですし、病院の名誉もかかっているので緊張する中、撮影を行いました。カットされているかなと思いましたが、放送日当日、栄養部では総料理長や料理長が映る中、私も少しだけ配膳している所が映りました。テレビに映る機会なんて滅多にないのでとてもいい機会を頂いたなと思います。A病院はとても忙しく、人手も足りず、シフト制のため体調を崩しやすく扁桃腺炎に頻繁にかかっていましたが、休める状況ではなかったので点滴を打ってから出勤をしたこともありました。

 年があけて1月の下旬、B病院への異動の話があり、私の同期は一度も異動がないのに何で私だけ頻繁に異動の話が来るのだろうとさすがに思いましたが、3回目の異動をしました。B病院ではケアセンターと同じ内容の業務を行っていました。男女二人の上司は神仏から見て許されない関係となっており、何でもその女性の栄養士と比べられ、仕事の評価が落ちました。私は病院食でも見た目や味にこだわり、食事の時間が楽しみに思ってもらえるような食事作りを心掛けてましたが、B病院では味や見た目よりも時間内に終わらせることが優先といった雰囲気でした。自分の意見を言いたくても上司二人は仲がいいため言いづらく、やりがいを感じなくなり、何のために働いているのだろうと思うようになり、また、洗剤が強く、やけどと間違えられるようなひどい手荒れもありましたので両親に実家に帰りたいと伝えました。両親も手荒れがひどいことを知っておりましたので帰っておいでと温かく迎えてくれ東京での4年間の生活が終わりました。

 私は4年間の生活の中で、異動が多く大変な日々でしたが、人との付き合い方、家族の大切さなど地元にいたら経験の出来なかった事を多く学ぶことができ、これは金剛さまが与えてくださった試練だと思っています。

 新築で住んでいたアパートですが、突然、排水溝が詰まり水が流せない状況になったことがあり、業者を呼び、直してもらい安心と思っていましたが、数日後また排水溝の調子が悪くなり、業者を呼んだところ、業者が来る前に自然と直りました。不思議に思い、ふと考えた時に祖父母や両親に氏神様へ挨拶に行きなさいと言われておりましたが、一度も行っていないことに気づき、また、青年研修の御五法修業にて「一人暮らしを始めても解脱をさぼるんじゃない」と注意を受けたことを思い出しました。氏神様へ挨拶に行ってから一度も排水溝が詰まることはありませんでした。

 一人暮らしの時は土日も仕事だったため、解脱行事に中々参加出来ませんでしたが今は支部の解脱行事や青年部行事に参加できるようになりました。家が支部ということもあり、感謝会や千巻供養にも時々参加させていただいています。その中で支部会員さんの病気平癒祈願供養に何回か参加させていただきました。会員さんが集まり何回か供養をした所、病気がいい方向に向かっていく方を何人も見てきました。私は人のために解脱をさせていただくことは中々ない機会で素晴らしいことだなと実感しました。解脱を忘れずこれからも学んでいきたいです。

 私は今、自営業の通信ケーブル、電力・電線ケーブル加工会社に勤めています。主に事務と現場に入っています。最初、家族と一緒に仕事する事に抵抗がありましたが働いてみると、営業や事務、現場と、私だったらできないと思うようなことを社長のお父さんはこなしていくので尊敬しています。現在は、仕事にもやりがいを感じ、半田認定試験に向けて勉強中です。仕事を通して社会に貢献できる人材になれるようこれからも努力していきたいです。