青年の主張

令和2年7月度 神静ブロック青年講座にて

「失敗は成功するための導き」

神奈川教区・小田原栄町支部

山田みなみ

 皆さん、こんにちは、神奈川教区 小田原栄町支部の山田みなみです。

 私は中学2年生から栄町支部の班長のお役目をいただいております。初めて班長をいただいた頃は、正直、自分は解脱を人生の中に取り入れようとは思っていませんでした。それでも、「お役目をいただいたことには、なにかの導きがあるから」と言う父の言葉で務めさせていただく事になりました。1ケ月に1度の青年会で皆が集まれるような遊びや学びを考えたりしているうちにあっという間に5年目を迎えました。高校卒業と同時に、両親がやっているからと始めた解脱は自分にとって何なんだろうと考えていたときに支部長先生から青年研修のお話をいただきました。その時は全く知らない人達と5日間も一緒に過ごすのは少し不安や抵抗を感じ、あまり気が乗りませんでしたが、支部長先生の「絶対に素晴らしい経験ができるからいってみなさい」という言葉に背中を押され、参加を決めました。そのお言葉の通り、青年研修ではとても素晴らしい経験をさせていただきました。両親がやっているから自分がやるのが自然になっていた。という人が殆どで、解脱って自分にとって何なんだろうと、私と同じ悩みを持った人がたくさんいました。最初は緊張した空気がありましたが、夜には自分の悩みや経験を打ち明けあって、ともに涙を流し合いました。5日間、誰ひとりかけることなく終えることができた青年研修はおとなになっても絶対に忘れないだろうと思いました。そして解脱は自分が幸せになるための学びである事に気づきました。

 あれから3ヶ月以上経った現在、私は週に1回支部に通い支部長先生からご指導を受けています。この青年研修で経験したことを活かして、これからは栄町支部の他の青年たちを導いていけるように精進していこうと思っております。


 今回は、まだ私が解脱を自分から学ぼうとしていなかった高校生の頃に体験した、お話をさせていただこうと思います。

 私は大学受験に2度失敗しています。私は小学校の頃からフルートを吹いていて、練習をすればするほどフルートが好きになり、高校1年生の頃には、世界の音楽家になることが夢になっていました。音楽大学に進学をするため高校生活の半分以上の日数が音楽漬けの日々でした。学校の日でも、休みの日でも毎日毎日フルートを吹き続けました。何度も壁にぶつかったことはありましたが、見守ってくれていた両親や親戚、支部の皆さん、部活の部員たち、担任の先生。私には数え切れないくらい応援をしてくれていた方々の支えもあり、なんとか3年間大学受験に向けて頑張ることができました。私が志望した大学は例年よりも倍以上の入学希望者がいてAO試験の倍率がとても高くなっていましたが、私は気にすることもなく、受験当日もたくさんの応援があるから大文夫、絶対合格する。そう思っていた私は受験に挑みました。なんの問題もなく試験が終わり、あとは合格を待つのみ。そう思っていました。

 1週間後、結果通知が届き、開けてみると「不合格」その文字が含まれた、たった1行しか書いていない1枚の紙が入っていました。それは私にとって人生初の不合格でした。正直、その頃の私には不合格になる。ということが頭になかったため、大きなショックを受けました。受験のためにやりたいことを犠牲にしてまで毎日必死に頑張ってきたのにどうして落ちてしまったのか。私は今までにない悔しさに押しつぶされた気分になりました。

 しかし、3年間、部活動で鍛えられた粘り強さのおかげで、私はもう1度同じ大学を受験することにしました。ここで諦めてはいけない、次がある。皆の前ではそう言っていた裏腹に、次受験を失敗したら自分はもう終わりだ。そう考えていた自分の焦りもあり、自分を追い込み続けました。いろいろな不安や焦りが重なり、満足の行く演奏をすることができませんでした。前回と同じ不合格の通知が来たとき、何もかもが終わりだ。自分はもう大学にいけない。私はまっさきにそう思いました。

 そう思っていた私に、3年間レッスンをしてくださった先生から電話が来ました。それは「付属の保育科に進学して資格を2年間で取得して3年生から編入しないか」とのことでした。私は小さい頃から自分より年下の子や赤ちゃんの面倒をみるのが大好きで、中学生までは保育士を目指していたため両親もいい導きだね、と賛成してくれましたが、私は受験に失敗したからもう夢を諦める。そう考えていました。1つの手段でしか考えていなかった私は「目の前の困難にとらわれてはいけないよ。違う視点から違う方法を見つけてやってみようと挑戦するのが大切なんだよ」というレッスンの先生の言葉に背中を押され、学部を変えての3度目の受験に挑戦することに決めました。急遽決まり、1週間後の入学試験でしたが、無事合格をすることができました。合格が決まったとき、沢山の人が喜んでくれました。父は私を抱きしめ、親戚は泣いて喜んでくれました。私は受験を通して、失敗は終わりではなく成功するための導きであることを学び、子供の頃から唱えていた青年訓の「暗い夜道に悲観をするな」ということはこういうことなのではないかと考えることができました。そして自分のために涙を流したり喜んだり、一生懸命になってくれる人がいることがどれだけ幸せなのかに気づきました。そして、その幸せに感謝をしなければいけないんだと思うことができました。

 現在はその大学で保育の勉強をしながら2年後の編入試験に向けて音楽の勉強と両立する毎日ですが、これが始まりなんだと一生懸命勉学に励んでいます。そして音楽大学卒業後は音楽家ではなく、まだ日本では発展していない音楽療法士になって、自分が今まで沢山の人に支えられた分、保育の資格も活かしながら悩んでいる子供や病気の人を音楽で支え、世のため人のため役に立ちたいと思っています。日々の感謝や学びを忘れずにこれからの人生を歩んでいきたいです。

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