青年の主張

令和3年6月度 関西ブロック青年講座にて     

兵庫教区・兵庫稲美準支部

伊野 翔子

 「解脱とわたし」 

 

 みなさん、こんにちは。

 今回、「青年の主張」のお役目に仕わせていただきました。兵庫稲美準支部の伊野翔子です。

 初めてこのお役目に仕えるにあたり、大変緊張しております。

 正直、このような場でみなさんに何をお話しすればよいのか、このお役目に相応しいお話はなにかを考え、頭を捻りに捻ったのですが、残念ながらなにも浮かびませんでした。そこで、22年という短い人生ではありますが、そのなかで「解脱」が自分にとってどのような存在であったのか、またあるのかを振り返り、見つめ直すかたちでお話ししようと考えました。


 拙(つたな)い内容になるかと思いますが、温かく見守っていただければ幸いです。


 私は解脱四世です。現在、私が所属している支部の支部長である祖父の両親が「解脱会」に縁をもったことが、私が解脱に繋がりをもつ始まりとなりました。解脱のみ教えは曾祖父母から祖父母、そして両親に引き継がれていきました。そのため、物心ついたときから「解脱」は私の人生の一部分になっていました。解脱会の行事である感謝会や子ども会、その他行事にも姉たちや従兄弟たちと参加していました。私自身、「解脱」という存在が当たり前であったため、解脱会員であることの迷いや不思議、嫌悪感というのは一切なかったです。しかし、それが当たり前ではない。という事実に気付かされたときがありました。


 支部っ子のみなさんや、代々解脱の家系で育った方々のあるあるといえば、般若心経を覚えなくても気づけば「言えるようになっている」ことではないでしょうか。私も般若心経が幼い頃から耳にタコができるほど聞いていたせいか、自然と覚えていました。

 小学校低学年のとき、習字の時間に「お経」の話題になりました。クラス内で「お経を全て言えるか?!」という謎の挑戦時間というものがあり、私は般若心経を言えることがみんな当たり前だと思っていたので、般若心経を全て言うとクラスの子たちがすごく驚いていたのを今でも覚えています。そこで初めて般若心経が言えることは当たり前ではなく、みんなが解脱を学んでいる訳ではない、ということに気付きました。


 中学生になると部活動が始まったため、解脱の行事に参加することが難しくなり、少しずつ私の生活から解脱が遠のいていきました。しかし、私にとってこの時期が解脱とのターニングポイントでした。


 私は中学2年生のとき、人間関係にひどく悩んだ時期がありました。そして、学校に通うことが難しくなり、不登校になりました。

 当時は家族以外の人と会うことも、話すことも外に出ることも全て拒絶して、ずっと家に閉じこもっていました。そのなかで唯一、御神前だけがなぜか心休まる場所でした。

 母親が「おばあちゃんが翔ちゃんに会いたがっているよ」と言いました。私は、支部長夫人である優しい祖母が大好きでしたが、見栄っ張りな性格なため今の自分の姿が情けなく、会うことを避けていました。しかし、祖母は何も聞かず、叱らず、優しく私を包み込んでくれました。そして、御神前に向かってたくさんの御供養をしてくれて、お浄めをさせてくれて、わたしの心を少しずつ掬(すく)い上げてくれました。

 その日から、ほぼ毎日のように祖父母の家である支部に訪れ、お浄めをし、ただ御神前に正座するだけの日々を送りました。そこで祖母が「ご先祖さまのお墓参りに行ってみたらどう?」と提案してくれて、伊野家のお墓に頻繁に足を運ぶようになりました。伊野家のお墓は、私の家から高速で片道約1時間の山奥にある場所だったので、母親に無理を言い、運転して連れていってもらっていました。母親は何一つ文句を言わず、嫌な顔一つもせず、いつも「いいよ。」と微笑んでくれました。本当に感謝しかありません。

 そのような日々を過ごしていくうちに、自然と学校に行こうという気持ちが芽生え始めました。そして無事に中学を卒業し、高校、大学と現在に至ります。もちろん、その間、解脱だけでなく、いつも近くで見守ってくれていた家族や、待っていてくれた友人。沢山の人々に支えてもらいました。

 当時をこのように振り返ってみると、本当にお導きはあるのだと身に染みて感じます。たくさんの人に迷惑をかけてしまい、精神的にも辛い時期ではありましたが、解脱のみ教えを通じて本当にたくさんのことを学ばせていただき、はじめて解脱に救われたと感じたときでもありました。そして、あの日々があったお蔭で今の私があると思っています。


 私は解脱が当たり前にありすぎたせいか、その存在を軽視してしまうことが少なからずありました。また、私には邪念が多いので解脱を学んだからといって、全ての教えを実践することは決して容易ではありません。ですが、自分の至らぬ点をいつも指摘し、気付かせてくれるのは、解脱のみ教えにある環境にいるからだと思っています。解脱を学べる環境で、解脱に縁をもつこの家系に生を受けさせていただき、金剛さまやご先祖さまには心から感謝しています。

 目の前に起こることは全て何かしらの意味があります。良いことも悪いこともあって当たり前です。ですが、それをどのようにプラスに変えていけるのかが重要なのだと考えています。解脱を学び、自分の人生を今よりもさらに豊かにし、辛いことも悲しいことも、幸せなことも、嬉しいことも全てにおいて自分の糧になるということ。解脱は私の人生においての道導であると気付きました。わたしは、解脱に縁がある家系に生まれ、幸せです。これからの人生もずっとずっと解脱のみ教えのもとに生き、その恩返しとして世のため人のために自分が今、すべきこと、またできることを考え続け、努め、精進していきます。


 ご静聴ありがとうございました。