令和3年6月度 東京ブロック青年講座にて
東京第1教区・牛込支部
浜田 真央
皆さんこんにちは。東京第一教区、牛込支部の浜田真央と申します。
本日初めて青年の主張のお役目をいただき、光栄に思うとともに、精一杯お使いいただきますので、宜しくお願い致します。
始めに簡単に自己紹介をさせていただきます。父方の祖母の代から解脱を学ばせていただいておりますので、私は解脱3世になります。現在支部では、班長としてお役目をお使いいただいております。小中高とスポーツに打ち込んでいたため、真剣に解脱を学び始めたのは、大学生からになります。そこから周りのたくさんの方に恵まれ、支学ばせていただいております。
さて、この後のブロックタイムは『お浄め』についての学びがありますが、皆さん、普段からお浄めはされていますでしょうか。私は恥ずかしながら、しばらくできていません。これは以前の自分の気持ちですが、お浄めをするということは、人生で何か起きた時、迷ったとき、つらいことがあったときにするものという印象が強くありました。よくお浄めを日々行ったことにより、職が決まった、受験に合格した、導かれた、という話しを聞くことが多かったため、子供ながらにそんな解釈をしていました。
そういった解釈から、その方の努力ではなく、すべてがお浄めのお蔭だと言っているように聞こえてしまい、そこから段々お浄めに対し、苦手意識が芽生えてしまいました。日参等も同様で、通っていることが一番偉く、その向き合っていることへの努力が二の次になっているのでは?という不信感が大きかったと感じます。
そんな私ですが、最近人生の転機がありました。ありがたいことに保育園から、大学まで何不自由なく両親や周りの方々に支えられ通うことができ、本来であれば現在は社会人3年目に当たります。ですが、今年の3月末をもって勤めていた会社を退職することになりました。理由は簡単に申しますと、コロナの影響で経営難になったことによる会社都合の退職です。私の同期の約3分の2がまだ未来があるとして、その対象になりました。
就活時代、『何をするかではなく、誰と働くか』を軸に就活を行っていました。
たくさんの会社とのご縁があり、複数内定をいただきましたが、今しかできない就活を通してより多くの人と関わりたいと思っていたため、9月末ギリギリまで就活を行い、最終的に決まるまで待ってくださり、一番人としての魅力を感じたその会社に入社を決めました。
学生時代はスポーツ関係の勉強を学び、資格も取得したこともあり、スポーツジムの職に就きました。
周りの方々は体育会系で、情に熱く、思いやりがあり、本当に人に恵まれていました。
全国に店舗があるような大きな会社でもあり、2年目には2つの店舗を任せていただいたり、成長を感じられた素敵な職場でもあったので、辞めることなど考えていなかった矢先の出来事で大変ショックでした。
就活のときよりずっとお世話になっていた人事の方と面談を行い、悔しくて泣いてしまった私と一緒に涙を流してくださりましたが、泣くなら辞めないようにしてくれ、とそんな情けない気持ちに駆られもしました。本当に心の底から入ってよかったと思い、本当に仲間に恵まれた会社を去らなければならなかったことは、今も考えるととても悔しいです。
何より、就活時代、なかなか会社を決めず、たくさん心配や迷惑をかけてしまった両親に、また同じ思いをさせてしまうことを打ち明けた後は、申し訳なさと色々と気持ちの整理がつけられず、顔を背けて逃げてばかりでした。
退職してからも中々真剣に動くことができず、周りの方々から、しばらく休んでいいんじゃない?とお声がけいただいた言葉に甘え、途中だった車の免許取得に励み、その後はなんとなく日常を過ごしていました。
その期間に、元職場の方々や学生時代の友人から、新しい職の紹介など複数いただきましたが、自分の中で自分という人間に自信がなく、紹介いただくのは同業のスポーツ関連で、もうきっと自分には向いていないから違う職種がいいんじゃないか、などマイナスな気持ちが先行して、そのご厚意にも真剣に向き合えず、自己嫌悪、現実逃避の繰り返しでした。
そんな中、1教区内でお浄めについての勉強会がありました。そこで皆さんの近況報告や気持ちなどを知ってとても胸が打たれました。コロナ禍という同じ状況の中でそれぞれの思いや行動で動いて様々な経験をしている。同じ支部の子も、氏神様へ毎日の日参をしている。そんな話しを聞いて何もしていない自分がとても恥ずかしくなりました。
また、一番響いたのは『お浄めを通しての体験』でした。冒頭にも申しました通り、お浄めをやったお蔭で人生が変わる、とそんな解釈をしていましたが、そうではなく、お浄めをした方々の気持ちの変化等であってお浄めがすべてではない。きっとお浄めをしたから何か変わるとすがるのではなく、何かを変えるためにお浄めをする、という自分の強い意志で行ったからこその体験だと気付かせていただきました。
こういった貴重な気付きを与えてくださった1教区の皆様へは感謝しかありません、
その体験を聞いて、今の自分に関しても何か変化が必要な時期だと感じたので、まずは真剣にお浄めと向き合ってみようと感じました。この状況だからこそ、お浄めのほかに何か学ぼうと考え、先日金剛さまの御遺訓集、漫画で解脱入門が学べる「うんちく図鑑」にある『天職』の項目を読みました。そもそも天職とは、その人の天性に最もあった職業とも言いますが、天から授かった職業。英語でcallingといい、callは呼ぶという意味から、神様がお呼びになられた職業とも言うそうです。
それぞれ私の心に響いたお言葉をご紹介させていただきます。
金剛さまの御遺訓集より、
『工場の一工員であろうとも、事務員であろうとも、給仕であろうとも、その職場で全精神を打ち込んで勤めるときにその職場でなくてはならない人となる。そこに自らの存在の貴重さが生じるのだ。』
とお言葉があります。私自身はこのお言葉通りのことができていなかったのだととても痛感しました。
また、「うんちく図鑑」では、
『とにかく自分に与えられた仕事にまずは全力で取り組んでみる、それもせず本当の天職は何か考えることは愚かだね。今日の仕事に喜びをもって精一杯努力する、そのことが大切。そうやって今の仕事に全身全霊を打ち込んで努力しているうちに自然に自分にふさわしい仕事に導かれていくもの』
と学びがあります。
今の自分の“仕事”は何か、よく向き合い、考えて、とにかく行動していこうと改めて感じました。
また、4月のみさとしでは、
『幸福の満点にあこがれるならば、天職に鞭打って、一に努力、二に努力、三にも努力せよ』とありました。鞭を打つとは、自分の今の状態に満足せず、日々向上するための工夫を重ねていくことです。まだまだ学びの途中ではありますが、以上のことを学ばせていただき、自分に足りないもの、できていないことばかりだと痛感し、それを補っていく努力が必要だと気付くことができました。現在の私は何にでも挑戦ができる最高の環境にいます。青年部活動ではもちろんのこと、私生活でも今後たくさんの努力、挑戦をして、体験を積んでいきます。
この話しを聞いてくださった皆様にまたいい報告ができるよう、日々精進してまいります。改めまして、今回青年の主張のお役目をくださった、支部長先生、齊藤部長、関わってくださった皆様に感謝申し上げます。
ご清聴ありがとうございました。
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