令和3年7月度 中部ブロック青年講座にて
名古屋第1教区・名古屋百船支部
浅井 大誠
改めまして、皆さんおはようございます。
紹介に与(あずか)りました、名古屋第1教区名古屋百船支部の浅井大誠です。
先日、夏至を迎え、ここから夏本番という事で湿度も上がり湿気に負けそうで憂鬱な毎日であります。最近は特に日中が非常に暑くなってきており、汗がやばいことになるので変えのシャツが手放せない毎日ではありますが、皆さんはどうでしょうか?
さて、先日といっても2ヶ月ほど前ではありますが、大祭の方に久々に参加させていただきました。今回は従来の一参加者ではなく、おみたま櫃供奉のお役目にお使いいただき、運営側の末席に名を連ねさせていただました。今回、初めてのお役目という事もあり、隊列の一部になっておごそかに行進すればいいかなと思っていたのですが、有難いことにおみたま櫃の捧持者に選出され、大役を担うこととなりました。今回は青年本部長の意向もあってか初参加者が捧持をすることとなったそうです。実際に持ってみると、思っていたよりずっしりとしており、きちんとした体勢で持たないと腰に来るものであったので、慎重に練習を行いました。捧持者4人で意思を統一し、行進することは、こう、何か言葉にうまく表せられない“何か”がありました。本当にすごくいいタイミングでのお役目をいただき、得難い経験をさせていただくことができました。
さて、大祭は小さいころから年に2回ある支部の友達と行く毎年恒例の当たり前にある小旅行的のような感覚で参加しており、御霊地のお山を走り回ったり、屋台の射的で競い合ったりといろいろ楽しかった思い出があります。
また、ここ数年は、秋季大祭での鼓笛隊の演奏の場の側面もあり、三聖地巡拝の出迎えの奉仕を含めこちらも年に2回の演奏の場として順当に当たり前になりつつあるものでした。
ところが、現状のこの状況下になり、通常開催が厳しくなり、当たり前に開催されていたものが当たり前に開催されなくなり、今回の大祭もお役目が無ければ参加できなかったかもしれません。
「推しは推せるときに推せ」
これは、某界隈での万感の想いを込めた言葉になります。
当たり前にずっとそこにいると思っていたものが、急にいなくなってしまい、想いを向ける矛先がなくなってしまった時の喪失感は、測り知れないものとなります。
話は変わりますが、私は昔から各支部の青年会への出仕のお役目をいただく際、話しのネタにできそうなものが直近になかった場合は、当たり前が当たり前であることは実は当たり前でなく、とてもありがたいことであるという事を伝えさせていただくようにしていました。
何かしらのケガをしてしまった際、その時は痛い想いをして、不自由になるので悪態をつき早く元に戻らないかなと思うばかりであり、何事にも感謝を見出せという解脱の教えもなかなかに難しいものではないかと思います。ただ、見方を変えてみればそれもすんなりと受け止められるものだと思います。従来、何不自由なく過ごしていることが当たり前ではなくすごく得難いものであること、何か不調をきたした際には気づけてもすぐに忘れていってしまうもの。そのあたりを自分なりに、自分のものとして落とし込むことができれば、それでいいのかな、と。
当たり前の生活が当たり前でなくなるときというのは、なかなか得難いものであるはずですが、現状の社会情勢では苦も無くその状況が得られています。この状況下に対して、苦言をこぼすことは誰にでもできることです。しかし、そこに対して”何か”を見出すことができれば、それこそ至上な経験になるのではないでしょうか。
最後に、この青年講座という場に対して。
この場も昔から第1日曜日に開催されており、行けばやっている当たり前のようなものでした。支部のお役目、教区のお役目をいただ、運営に携わるようになってからも当たり前に開催し、当たり前に参加してくれる人がいて、当たり前に進んでいくものであり、そこに疑問を持つことはありませんでした。肩書をもらってからはブロックタイムしかり全体の流れしかりで悩むことはありつつも、みなと協力してどうにかできていました。しかしこの状況下になり、運営側から絞っているので仕方ないものではありますが、参加人数は目に見えて減り、この状況下である限りどうあがいても難しいでしょう。ただ、この状況下であるからこそのオンラインへの取り組みにより、新しい目線での運営体制の構築、型にはまらない講座運営への一助になっていくものと思います。
当たり前が当たり前として続く限り、その当たり前とは普遍的なものでしかありません。
ただ、当たり前が当たり前でなくなったときに当たり前を当たり前として取り戻すことはすごく難しいものです。
その流れの中で変化に取り残されないように色々努力はしているつもりですがまだまだ未熟なので、当たり前が当たり前でないことをじっくりと実感できるまたとない機会に対し不平不満をこぼしつつも、どうにかこうにかやっていきたいと思います。
これからもどうぞ、よろしくお願いします。
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