青年の主張

令和3年7月度 東京ブロック青年講座にて     

 東京第4教区・中野上高田支部 吉田紘巳(ひろみ)


・導入(自己紹介)

 改めまして、皆様おはようございます。只今ご紹介にあずかりました、中野上高田支部の吉田紘巳です。本日は青年の主張のお役目を精一杯お使いいただきます。よろしくお願いいたします。今回の青年の主張では、私の人生の転機となった気付きについてお話させていただきます。それは、大学のサークルのリーダーとして上手くいかなかった時期に、解脱会青年部活動で気付いた感謝の気持ちを言葉にする大切さ、です。それでは、まずは自己紹介を兼ねた、気付きに至るまでの私のこれまでの人生についてお話をさせていただきます。

 私は、現在25歳の社会人2年目の国家公務員として働いております。家族は父母姉2人と私の5人家族です。解脱会としては、解脱三世で、教区では支部班長のお役目をいただいております。解脱に熱心な母の導きと姉である、なおとふみの青年部でのこれまで活躍のお蔭さまで、姉2人の弟としてたくさんの方々に可愛がっていただき、今日まで続けて来ることができました。というのも、大学生になるまでは、そこまで参加したことがないほどの熱血野球小僧だったのです。

 小学校1年生から野球を始め、土日は地域のチームで練習、平日は学校の友達と放課後の校庭で野球をして遊ぶ、と野球にのめり込んでおりました。中学生になると野球部で毎日練習をする本格的な野球漬けの日々が始まります。中学校時代は学校内では運動神経が良い方で野球も上手であったと感じており、野球部ではエースでキャプテンでした。また、学校生活の面においても生徒会長を務めるなど私が中心の中学生時代でした。

 高校の進路については甲子園を目指したいと思い、野球に力を入れている高校に進学いたしました。高校の野球部は部員が約100名程度おり、練習量も精神的プレッシャーもかなりハードであったと思います。平日は、授業前に朝練をし、6時間目の授業をカットして野球部専用の野球場へ電車で移動し練習をいたしました。土日の丸1日を使った練習の日は朝6時半から夜8時頃まで、と野球漬けの日々を送っておりました。野球のプレー面では、もちろんミスは許されず、自分自身の打順、現在のアウトカウント、ランナーなど状況に応じて適切なプレーをすることが求められるなど大きなプレッシャーかつ動きも複雑であり、本気で取り組む中で野球の次のプレーを意識し、1点を取るための緻密さと、己を犠牲にして行うチームプレーはこんなにも難しいのかと勉強になるとともに、勝負の世界の中で、勝つために、好きというポジティブな思考だけでは野球と向き合うことができないなと身に染みて学びました。その一方で高校生活の時間を1つのことに注ぎ込んで熱中出来た経験は非常に貴重で、「あれより辛かったことはないよね」と野球部の仲間と今でも会うたびに語り合うことができるほど、精神的にも成長することができたかけがえのない財産となりました。

  野球部を引退し、進路選択の時期になりました。高校は大学付属の高校であったため、そのままエスカレーター式で大学に進学することもできましたが、夢の六大学野球を経験してみたいと思い、一般受験することを決断いたしました。しかし、野球しかしてこなかった私は勉強ができる訳もなく、儚くも大学受験に失敗してしまいました。吉田家においては浪人することは禁止されておりましたが、家族の理解のお蔭さまで、浪人をさせていただくこととなりました。浪人生活が始まると、勉強の傍ら少しずつ、支部の感謝会や青年部活動にも参加するようになっていきました。現在になって思うと、この浪人という選択は、野球を諦めることとなりましたが、私を解脱へと導いてくれることとなった大きなターニングポイントでもありました。


・気づき(大学サークルの代表での経験)

 1年間の浪人生活を終え、大学に入学しました。大学では、野球をあきらめたとはいえ、野球がまだ好きだったため、野球サークルに入りました。私が所属したサークルは活動的で、野球・プライベートともに仲良くとても楽しい大学生活を送っておりました。その後、私が一番上の代になり、みんなからの後押しと自分の希望もありサークルのリーダーである代表を務めることになりました。その動機として、「サークルの仲間と楽しい思い出を作りたい、もっと活気のあるサークルにしたい」という思いから希望しました。代表になるという念願が叶いましたが、私には少し不安がありました。それは先ほどご紹介した中学時代の野球部キャプテンと生徒会長の経験です。部活動でも学校生活でも先頭に立ち「野球部を強くする、良い学校にする」と一生懸命それぞれ活動しておりましたが、なぜか周りがついてこない、孤立してしまった経験がありました。しかし私は、その原因が分からず大学生の代表就任の時まで来てしまっていたのです。その不安は現実化しました。代表として合宿の手続き、合宿に関して旅行代理店との話し合い、野球場の確保、他大学のサークルとの練習試合の日程調整、学園祭のお金や備品の準備、とすべてやるべきことはやっているにも関わらず、みんなの心が少しずつ離れていくのをひしひしと感じていました。その時は野球の結果もなぜか出ず、プライベートもみんなと距離がありました。またしても私は原因が分かりませんでした。

 少し話は変わりますが、同時期に私は中野上高田支部の青年副班長、および東京ブロックのこども会スタッフとして青年部の活動に積極的に参加するようになっていきました。青年部の活動は色んな年代・立場の方々が在籍しており、同年代のみの関わりの大学とはまた違った面白さと難しさがありサークルと折り合いをつけながら参加しておりました。サークルで孤立しかけ、原因が分からず、もやもやしながら参加した春季大祭で私は大きな気付きをいただきました。大祭奉仕として東京第4教区は駐車場奉仕をさせていただいている時でした。現在は東京ブロックの副議長をしている大森八幡支部の橋爪良平さんが当時、4教区の青年部長を務めており、部長は朝から駐車場奉仕でバスや個人車両を案内しながらも本部と情報共有をするなどせわしなく動き回っていました。大学、解脱会と組織は違えど、先頭に立つ立場として、「部長、大変だな。私たちは少し休憩させてもらっているけども休む暇もなく、余裕がなくなってないかな。」と自分だったらなっていたであろう感情を投影していました。大祭は無事開催され、部長が戻ってきました。やはり疲れているように見えましたが、戻ってきたと同時に部長が「ひろみ、今日は忙しいところ奉仕ありがとうな」と声をかけてくださいました。この「ありがとう」という言葉に初めて心が温かくなったのを感じました。私は橋爪良平さんから感謝を言葉にすることの大切さと部長としての姿勢を学ぶとともに現在のサークルでの自己の振る舞いを反省いたしました。確かに私は代表の役目を懸命に務めていましたが、それはサークルの仲間も同じだと感じました、仲間たちもサークルを想い盛り上げるために頑張ってくれていたありがたさを忘れていました。私が野球などの準備しようが参加してくれている仲間がいてこそサークル活動は成立するのだと痛感しました。

 大祭の後日、サークルの新入生歓迎の新歓合宿が行われました、私は反省を踏まえ、まずは一緒に合宿を作り上げてくれた同期にありがとうと感謝の気持ちを直接伝えました。みんなでお互いに頑張りを労い、達成感と一体感を感じながら終了することができ、以前の孤立感は薄らいでいきました。その後のサークル活動では、同期を中心に数々の意見をもらいながら、サークル活動を仲間と協力しながら活気づけていくことができるようになりました。結果も野球では関東200チームの1位、サークルの人数も100人以上の大所帯のサークルとなり最高に楽しい思い出を残すことができました。


・まとめ

 以上の気付きが私の人生の大きな転機となり、多くの人と関わり合いながら生活をするこの社会の中において、大切なことを教えてくれました。しかし、この様に私が気付くことができたのは、日頃からの支部・家庭での、み教えのお蔭さまで気付くことができたと感じております。所属する中野上高田支部には、私が物心つく前からお世話になっており、高校までは、野球でなかなか参加できませんでしたが、支部に足を運べば「ひろくん、久しぶり!」と宮崎家が盛大に迎え入れてくれることが何よりも嬉しかったです。実は、盛大な迎え入れは今でも変わっておりません。と言いますのも、現在、東京ブロック書記の宮崎慶一郎さん・彩夏さんのお子さんである3歳の芽衣ちゃんが熱烈な私のファンであり、私が、支部に伺う前は「ひろみにぃにぃ、来るかな?」と楽しみにしてくれているのに、実際に私が支部に来ると芽衣ちゃんは照れすぎて、こちらを向くことすらできなくなりますが、勇気を出してその時々に覚えたダンスやアニメのセリフを見せてくれます。このように芽衣ちゃんにチヤホヤしてもらうために支部に通っているといっても過言ではありません。そして宮崎達郎支部長はいつも優しく見守っていただき、否定されたことや強制的な進言をされたことは特になく、いつも同じ温かさで迎えてくださいました。大学生以来、解脱と向き合うようになってきた私は少しずつ御修業に伺うこともあり、お伺いした際には、支部長の鋭い観察力から導かれる心に寄り添ったお話をいただき、いつも心のつまりが何故かとれるのです。これくらい、人に寄り添えるようになりたいと思うとともに、他人のために寄り添う事の大切さを日々教えていただいております。

 家族については、先ほども説明させていただきましたが、解脱に熱心で行動力の塊である母は吉田家を解脱へと導いてくれ、そして私たち姉弟も導いてくれました。私は浪人という経験があったお蔭で解脱と向き合うことができるようになったのですが、その裏にはいつも神・先祖へ感謝している母の姿と、どんな時でも私に発破をかけてくれる粘り強い強さのお蔭さまが間違いなくありました。本当にありがとうございます。大切なことに気付くことができました。

 姉2人は、私が野球にのめり込んでいて解脱に参加していない間、青年部活動に一生懸命取り組んでおり、周りの皆さんが私を可愛がってくれるのも、姉2人の相当な努力があったからだと感じ、お役目をいただくようになってからは特にそのすごさを痛感しております。2人のタイプは違いますが、家族へのサービス精神と仕事では長女のなおは秘書として多くの経営会議や役員のスケジュール調整など裏方として役員・会社全体のきめ細かいサポート、次女のふみは幼稚園の教諭として日頃から子供たちの作品に対してひとつずつコメント・管理を行い、お遊戯会前には土日返上で衣装の作成など、どこまでもひたむきな姿勢は「さすがお姉さま!」と言いたくなるほど、感心してばかりです。人生の先輩としてこれからもよろしくお願いいたします。

 最後に父親は解脱には参加しておりませんが、最も尊敬する父親です。とても寡黙で熱心で、小さいときから野球の応援をしてくれ、カメラをもって私のプレーを分析してくれ、なかなか褒めてはくれませんが、二人三脚で頑張ることができました。特に社会人になってから父親の偉大さを痛感しております。私は職場で、何かあると愚痴を父にこぼしておりますが、父は45年以上社会人をしており、つい最近退職をいたしましたが、不平不満を言っている場面を見たことはついに一度もありませんでした。いつも話を聞いてくれ、的確なアドバイスをくれる、冷静で我慢強く、物知りの父親は最高にかっこいいです。

 私の人生はまだまだこれからではありますが、これまで得た大きな気付きと、私自身の土台の基礎となる家族・支部・仲間を大切にしながら精一杯世のため人のためにお使いいただけるよう精進することを誓い、青年の主張を終了いたします。

 ご清聴ありがとうございました。