青年の主張

東京第6教区 御徒町支部

宮島 正和さん

令和3年9月 東京ブロック青年講座にて

 ただいまご紹介に預かりました。東京第6教区御徒町支部の宮島正和と申します。

まず初めに私の自己紹介からさせていただきます。

 私は現在24歳で大学卒業後人材派遣会社にて働いてます。家族構成は父、母、兄2人、妹2人の7人家族で、解脱会には曾祖母がご縁を頂き、私は解脱4世となり、御徒町支部にて勉強をさせていただいております。そのため、小学生では子供会に参加し、青年部になると奉仕に参加するようになり、当たり前に解脱会はありました。中学校ではサッカー部、高校ではテニス部に所属していたため、土日も練習があり中々解脱行事へ参加ができずにいました。それでも参加した時は教区の先輩方が「おー、まさよく来たな」と言ってくれ解脱会が生活から離れる事はありませんでした。大学生になると、支部副班長のお役目を頂き、そして今期より子供会役員のお役目を頂きました。コロナウィルスや仕事の関係上、中々参加できずにいますが、早く子供たちの笑顔を直接見れるようになりたいと思っています。そんな私が今回青年の主張というお役目を頂き、改めて自分の人生を振り返ると、解脱会が私を成長させてくれていることに気づかされました。今回の主張では特に気づきを得た事についてお話させていただければと思います。

 先ほど生まれたときより解脱会があると述べましたが、当たり前に解脱会があるからこそ中学生時代に貴重な土日が解脱会の行事で埋まってしまい、友達と遊べないと解脱会を学んでなければよかったと思う瞬間がありました。高校生になっても同じような思いがある中、青年部を過ごしていたため、だんだんと素の自分ではなく、解脱会の自分というものが出来てきました。解脱会の自分というのを言葉に表現するのは難しいのですが、どこか気を使っているような感じでした。ただ、それがつまらないとかではなく、むしろ参加すれば楽しく、無意識に解脱会とプライベートで分けていたんだと思います。

 そんな中、大学2年生の時に皇居勤労奉仕のお誘いを受け参加させていただきました。当時の私は大学で一番仲が良かった友達が大学を辞めてしまい、他の友達といる中で、合わすようになりだんだん居心地が悪く感じるようになっていきました。そんな中での皇居勤労奉仕の参加でした。その時は日程が空いていたからと単純な理由で参加しましたが、自分が変わるきっかけとなりました。皇居勤労奉仕は同年代の青年部員が4日間皇居の中の案内や奉仕をさせていただくのですが、その頃の私は他教区とのつながりがほとんどありませんでした。子供の時からいるため、顔は知っているけど話したことがないという人が多くいました。しかし、解脱会の良い所で話してみると良い人ばかりで、すぐに仲良くなれました。大学で窮屈な日を過ごしていた私にとって皇居勤労奉仕の四日間は素の自分になれ、肩の荷が下りたような気分でした。同じ教区以外に友達が出来たことで、解脱会が楽しく、解脱のみ教えもこれまで以上に学びたいと思うようになりました。そして、無理に大学の友人といるのではなく自分らしくいる事が大切だと気づかされ、自分が変わろうというきっかけとなりました。また、日程の中に今の上皇・上皇后両陛下と天皇陛下とご会釈させていただく時間がありました。国の象徴である天皇陛下とのご会釈は日本の為に少しでも何かお役に立てるようお遣いいただきますという決意をした瞬間でした。この思いは曾祖母が解脱会のご縁を頂き、それを祖父母へ、祖父母から両親へと伝えられたからこそ感じる事ができ、その事への感謝を忘れてはいけません。

 3年生へなり就職活動をしていく中で、面接や履歴書で聞かれる学生の時に力を入れたことが今の私にはないことに悩んでいました。そこで祖父よりミャンマースタディツアーに行ってみないかと勧められていたため、就職の何かのきっかけになればと参加させていただくことにしました。しかし、知っている方も多いと思いますが私はミャンマーへ行く事ができませんでした。ミャンマーへはパスポートの期限が渡航日の半年以上先がなくてはいけませんでしたが、私のパスポートは1ヶ月先しかありませんでした。それが出国日の搭乗口で分かり、家へ帰宅することになりました。ただ、その時はどうにかなって行けるものだと思っていました。しかし翌日、岡野本部長から電話がありミャンマーへは行けないと伝えられました。その時初めて実感が湧き涙を流しました。両親がこんなに落ち込んでいる私を見るのは初めてなほど、何もかも失ったように放心状態で何も手に付かずいました。家にいても気持ちの整理が付かず、どこかにこの気持ちを出したいと思い御霊地へ行こうと思いました。御霊地にて御百度を踏み自分の日頃の行いがこのようなことに繋がってしまったお詫びをさせて頂きました。御霊地では田辺先生、染野先生とお話させていただき、この経験がこの先の人生に役に立つからと激励の言葉を頂き元気付けられました。ただ、家に帰り1人になるとまた落ち込んできてしまいました。それを見かねた両親から気分転換にどこか一人で行ってきなと言われ、その時3月で東日本大震災のニュースがやっていたこともありバスで福島県へ行きました。そこで東日本大震災の資料館や津波の被害のあった海岸近くのカフェに行きました。そのカフェのお母さんと話をさせていただき、当時の状況や震災前もお店をやっていたが、津波で流されてしまったことを聞きました。それでも、またカフェを開き、今を生きているお母さんの話を聞いている内に自分は何か失ったわけではない、なんて小さな悩みなんだ、ミャンマーへはまた来年があるという気持ちになりました。そしてこの経験から人の人生に関われる仕事がしたいと思い人材派遣会社への就職を決めました。無事現在の職場に就職が決まり、昨年の3月に念願のミャンマースタディツアーへ参加させていただきました。前のメンバーから体験をたくさん聞いたりしていた為こんな感じかなというのはありましたが、実際に行くと聞くだけでは分からない学びが多くありました。例えば児童養護施設ドリームトレインの子供たちと遊んだ時のことです。最初は4人くらいの小さい円でハンカチ落としをしていた子供たちが、気づけば他の子供たちをどんどん誘って大きな円になってみんなで遊んでいました。皆親がいない子や育てられないと言われた子など様々な背景を持った中でなんて優しい子供たちなんだと胸が打たれました。そんな子供のたちの笑顔を見て今の自分がどんなに恵まれた環境にいるのかを肌で感じ、感謝と共に恥じない行動をしなくてはいけないなと思いました。また、ジャパンハートの創設者である吉岡先生と対談させていただいた中で「幸せはGive&Take。つまり与えてると自分に返ってくるのが理想だが、本当の幸せとはGiveし続けて、それがいつの間にTakeとして自分に返ってくるんだよ」という言葉が印象的でした。仕事でうまくいかない事があり成果へと繋がらないと、今は与えている最中かもしれないと考え原動力となっています。その後、先生の手術を見させていただき、与え続けているその姿は本当にかっこよく私もこういう姿を見せれる人になりたいと思いました。そしてこの考え方はみ教えの1つ「与えて求めぬ太陽の心」であり、私は生まれた時から解脱会で学ばせていただいており、学ぶことができるのは当たり前ではなく、幸せな事だと気づかされました。

 改めて私の人生を振り返ってみると、私の生活の一部には解脱のみ教えがあり、それが人生の指標となっています。小学生の頃を思い返しても、空手の試合の時には父が緊張している私の背中をさすりながら、南無解脱金剛と言ってくれそれが自然と落ち着き、今でも緊張する場面になると心の中で言うようにしており、み教え以外でも活かされるなと感じます。そして、み教えを学ぶことで自然と良い方向へ導かれていたのではないかと思います。うまくいかない事があると、これは何か学びを伝えようとしてるのではと考えていたり、人との出会いでのご縁を大切にしたりと、考え方の根源は解脱会で培われています。これからの人生でも選択の連続だと思います。その時に私がどんな選択をするのかはわかりませんが、解脱会で学ばせていただいてる中で気づきを得られると思います。その為には敬神崇祖、感謝報恩を忘れてはいけません。神々様、御先祖のお蔭様で今の私がいます。まだまだ未熟者の私ですが、今回得た気づきを忘れずに今後の青年部活動や社会人生活の中でいつも支えてくれ、見守ってくれている両親、支部、そして皆さんへの感謝を行動で示していきたいと思います。そして今青年部活動に悩んでいる方がいれば、一歩踏み出して横のつながりを広げてほしいです。同じ悩みや思いを持った仲間がいて、あなたにとってかけがえのない存在となります。

 以上で私の青年の主張とさせて頂きます。ご清聴ありがとうございました。