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きっかけは〇〇!!

高木大輔 青年本部員

 

 私が解脱のみ教えに向き合うきっかけとなったお話しを2つさせていただきます。

 

 一つは母です。

 

 私は支部っ子ではありませんが、母の実家が支部でしたので、小さい頃から支部には連れていかれていた解脱三世です。幼い頃は支部は楽しいところでしたが、成長するにつれ段々と面倒くさくなるところが私にも当然ありました。ですが、そんな私を母は許してはくれませんでした。

 

 普段は優しくてど天然の母なのですが、解脱のことになるとスイッチが入りとても情熱的(厳しい)で、青年講座の日にベットで寝ているようなものなら布団をはぎ取られ、支部感謝会はテスト前日だからと休もうと言うものなら「大事なことだから」と連れていかれる、そんな手前勝手な甘えは絶対許さない人でした。


 そんな母に対し、姉や私も学生時代反発した時期もありましたが、お互い40歳を過ぎた今では、姉も私も結婚をして子供も授かり、家族ぐるみで実家に集まり、会員でなかった父も一緒に揃って供養会をしているのですから凄いものです。今思うと母の信念には脱帽するばかりですし、子を持って知る親の恩といいますか、私自身が子に対してそこまで出来るのか、伝えられるのかと自問自答しながら反省する日々ですし、今では母は私の目標でもあります。


 もう一つ、私が10代に解脱に真剣に向き合おうと思ったきっかけになった行事があります。それが青年研修(今でいう青年コース)になります。当時私は19歳、全国50名、7泊8日行事というものに最初は参加することが嫌で嫌でたまりませんでした。北本へ向かう電車に乗りながら、同じ支部の友人と「どの駅で折り返そうか」と話していたことを今でも覚えています。


 ところが、この研修が私のその後の青年部人生を大きく変えました。研修では全国から年が近い世代が集まり、一週間寝食共にしながら過ごすわけですが、今まで出会ったことのないような青年部員がたくさんいました。あるディスカッションの中で「天茶供養ってやっている?めんどくさくない?」「そうそう」と盛り上げっていたところ、「天茶供養?するやろ!やってないのにとやかく言うのはかっこ悪いやん。俺は毎日やってるで。」と言うメンバーがいました。当時の私にはカミナリに打たれたような衝撃でした。


 周りで「天茶供養をやるのは当たり前だ」なんて言う同世代なんていなかったわけですから。カッコいいな、それと同時に、こいつに負けたくない、解脱から逃げるのはいつでも出来る、だから本気でやってそれから判断してもいいんじゃないかと、今考えればおこがましい考えですが当時心に誓った次第でした。彼らとの出会いは自分の殻を破ることとなり、その後の私の青年部人生を豊かにしてくれました。


 沢山のきっかけを頂いた方々の恩に報いていけるよう、日々努力精進させていただきますことをお誓いいたします。

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