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きっかけは〇〇!!

若杉修二 九州ブロック議長

(令和3,4年度のお役目)

 

 私は解脱3世で、母方の祖父が東京・大岡山支部で解脱のみ教えを学び始め、その後地元天草で天草本渡支部を設立したことが、私がみ教えに触れるきっかけとなりました。


幼少期から支部へ遊びに行く感覚で感謝会などの行事に参加しておりました。しかし、中学、高校と進むと同時に部活や友人との遊びを優先し、解脱の縁からは遠のくばかりで、社会人になり結婚し子どもを授かりましたが、解脱を学ぶ事はまったくありませんでした。

 

 そんな時、1歳上の兄が29歳の時に急性骨髄性白血病を発症してしまい、地元の病院から熊本市内の病院に私と兄と父の3人で向かいました。兄は熊本の病院に入院し、帰りの車の中で父が自分のせいで兄が病気になったと悔やんでおりました。父と兄は家業の新聞販売店を経営しておりました。家族で経営するにあたり、二人は意見がぶつかる事が多くあり、自分が相手を責めていた結果、兄が病気になったのだと、父は自分を責めておりましたが、当時、解脱を学んでいない私は、その意味が分かりませんでした。


 私たち家族が大変な状況にある中、支部の会員さんは、兄のために病気平癒祈願や氏神さまでのお百度を行ってくださり、私たち家族も皆さんと一緒に行をさせていただきました。その後、兄は病気を克服し社会復帰することができました。その当時私は、解脱のみ教えを学んでいましたが、その後は解脱のみ教えから遠のいてしまいました。今振り返ると何か問題があれば解脱を学んでいた様な気がしております。


 相変わらず解脱を学ばない時期がある中、当時、鋼材を販売する営業をしていた私は、営業の成績も思わしくなく、長崎支店に移動となり単身赴任の生活が始まりました。ある年の年末支部感謝会に参加した時に、当時九州担当の倉田先生と1月は佐賀有田支部に行くのでその時にお会いしましょうと約束をし、約束をしたからには行かない理由もなく、仕事の合間を利用し感謝会に参加したのがきっかけとなり、少しずつですが感謝会に出席するようになりました。そしてその後ブロック青年会にお誘いをしていただき、青年部活動にも参加をする様になりました。

 

 解脱の教えをほとんど知らない私を当時の杉崎議長や福岡宇美支部の村上支部長など、多くの方々が支えてくださいました。解脱が嫌いだった私が九州ブロック議長のお役目を担うとはまさかの驚きでしたが、2期4年の間、議長のお役目にお使いいただけたのは、今振り返ると、私を支えていただいた方々への感謝の行だったのだと思います。

 

最後になりますが、解脱を学ぶ事は私たちが次の世代に解脱のバトンを渡す役目があると私は思います。学ぶきっかけは人それぞれですが、ご先祖様に喜んでもらえる自分作り

をする事が大切ではないでしょうか。

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