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きっかけは〇〇!!

青年部教務員 田端 剛

  

 私の青年部活動は、父に連れられて、支部の青年会に通うところから始まりました。

 当時の私は、引っ込み思案な性格で、学校では仲間外れにされることがたくさんありました。すると、学校以外に居場所を求めるようになり、父に連れられて支部の青年会に参加するようになりました。しかし、青年会に参加しても、年上のお兄さんお姉さんばかりの環境では、自分から話すことはほとんどありませんでした。


 その後、北本御霊地で開催される青年講座へのお誘いを受けました。先輩から「北本には、剛君の同級生の子がいるみたいだよ」との情報をもらいましたが、当時の私は、あまり気にせず、会場に着いたら、カセットテープレコーダーを足元に置いて、父に報告するための青年講座を録音して帰る状態でした。


 私は、同じ支部の人たちで支部から御霊地まで移動する車中では、たくさんしゃべっていましたが、御霊地に到着すると、借りてきた猫状態で同じ支部以外の人とは、ほとんどしゃべりませんでした。先輩が、「車の中みたいに話せばいいんだよ」と背中を押してくれましたが、なかなか自分から話すことはありませんでした。参加回数を重ねると、「うちの支部に剛君の同級生がいるよ」と言って紹介されたのが、「北本宿支部の齊藤貞迪くん」でした。


 私は、同級生に会えたことが嬉しく、帰宅して父に報告しました。すると、「昔、うちに解脱誌を届けてくれた北本宿支部の齊藤さんと関係があるかもしれないね」と言われ、次に会ったら確認しようと思いました。翌月の青年講座で齊藤君に確認すると、「それはうちの爺ちゃんと婆ちゃんだよ」と答えられ、大きな驚きでした。当時は不思議なことがあるものだと思っただけですが、齊藤君より、「剛くんちが唯一繋がっているみたい」と言われ、お互いの祖父母の世代で交流があった孫同士が、青年講座で再会となったことは、金剛さまの大きなお計らいを感じずにはいられず、感謝の気持ちで受け取るようになりました。

 私が、支部班長のお役目をいただき、教区班長会に参加していた時のことです。当時教区部長を担われていた、同じ支部の我妻先輩より、「反対意見があるなら、上のお役目になった時に相応しいように改善するんだよ」とアドバイスされたことがあります。それ以降、私は、「自分だったらどうしたいか」という視点を持つようになり、班長・教区副部長とお役目がステップアップしていきました。

 

 齊藤君とも、同じように役目を経験することになり、常に齊藤君が先にお役目を担い、後を追うように私もお役目にお使いいただいております。私が教区青年部長のお役目をいただいていた時に、次期議長就任予定であった齊藤君より、「剛君は、議長をやる気があるかい?」と聞かれ、「もちろん」と答えていた自分がいました。いつもだったら、自分に務まるだろうかと自問してその場では答えられなかったはずですが、自然に返答しており、ご先祖様のお力添えを感じずにはいられませんでした。すると齊藤君は、「来期、副議長よろしく」と言い、私をブロック役員へ導いてくれました。ブロックには、もう一人の同級生、鈴木君が先輩役員としており、同級生3人で北関東ブロックを盛り上げていこうと活動しました。三者三様、それぞれ異なったキャラクターの私たちは、お互いの得意な分野で活動し、互いに切磋琢磨する関係となりました。


 3人とも、御霊地の活動に参加するようになって同級生に出会え、より大きな場における学びのありがたさを実感させてもらっています。

ぜひ、大勢の仲間と出会い、互いに切磋琢磨したくなる仲間を見つけていきましょう!

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