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きっかけは〇〇!!

「『支部へ行け!』母の言葉と、いただいてきたご恩に報いるために」

青年副本部長 田中智宏 

 私は、滋賀教区岐阜関ヶ原支部で日々、み教えを学んでおります。

 私とみ教えとの接点は、幼少期でした。支部長が母方の親戚で、叔父であった所から、はじまります。

 その頃、母に連れられよく叔父の家に泊まっていました。従兄が私と一緒になって遊んでくれたので夏休み等は長期に渡って泊まりに行っていたのをよく覚えております。その時は叔父が支部長であり、み教えを学んでいるなんて知らない私でしたので、神様に手を合わせるとか、仏様に手を合わせる意識がありませんでした。また、夜に御神前の間に行くと、子どもながらに「なんだか怖いなぁ」というイメージしかありませんでした。その頃、母が叔父に誘われて入会させていただいたと記憶しております。

 私は母に連れられて支部行事等に参加していたものの、居るだけの感覚で、中学・高校生になると、行事等をサボって自由気ままに過ごし、社会に対して、人に対して猛烈に色んな方向に反抗していました。母は元々身体が弱く、私が中高生の頃から体調を崩しやすくなり、入退院を繰り返していました。入院する度に真っ先に駆け付けてくれたのが、叔父の支部長でした。

 私が困っている時は、支部長婦人が色々と世話をしてくれたりして、よく気にかけてくれていました。勿論、父は健在で、当時、何も携わっていない訳ではありませんでしたが、仕事がとても忙しく、中々直ぐ動ける状況ではなかった為、お世話になっていた状況でした。そんな事もあり、学生である私は「申し訳ないなぁ」と思い、支部長と支部長婦人への「恩」を感じ取る事となりました。と、同時に、病弱な母が「支部へ行け」と何度もしつこく私に言い始めた頃でした。

 支部長さんへの恩返しと母がしつこく言うが為に、しょうがなく支部へ行くものの、解脱をしている私、私生活の私、と二重人格で2つの仮面を持つ私でした。支部の敷居に踏み入れると解脱の仮面を被り、支部の敷居を出るとその仮面を脱ぎ、実生活では普段の私に戻るのです。

 その様な生活をしていた学生時代から年を重ねながらも、教区副部長のお役目の時に、結婚という節目を迎えました。更に支部への足運びを重ね、金剛さまのご精神を学び、支部長の幾度と重ねるご指導により、2つの仮面を持つのではなく、仮面を脱ぎ捨て、解脱を学ぶ本当のまっすぐな心を自身がつくりあげなければいけない、という気持ちに変わっていきました。また、いただいた「恩」を返していけるように、自身で鼓舞していくようになりました。

 既に母は、他界して十数年経っていますが、母が私にみ教えを繋ぎ、宝物を残して下さいました。次は、私が子へ繋ぎ残していかなければなりません。今後も引き続き、謙虚で素直な心を持ち、社会の為、人様の為にお使いいただき、み教えに沿って徳積みの行を実行し、日々精進努力していきます。

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