top of page

三聖地巡拝錬成 学習資料(5)


5、『御寺泉涌寺』




 天皇及び御皇室に対する金剛さまの絶対的な尊崇の念と泉涌寺護持のご精神を体して、日本国民として努力するお誓いをさせていただきましょう。

【仏殿】


 京都東山三十六峰のひとつ月輪山麓(つきのわさんれい)にある日本で唯一のご皇室の※菩提寺(ぼだいじ)です。歴代天皇とその皇后の菩提を弔(とむら)うことから尊称して「御寺(みてら)」と呼ばれています。開基(創立者)は月輪大師(がちりんだいし)・俊(しゅんじょう)で鎌倉時代の建保6年(1218年)に創建されました。 ※ 菩提寺・・・先祖代々の墓や位牌をまつるお寺。お葬式や法事を行うお寺。


月輪大師(がちりんだいし)・俊芿(しゅんじょう)

仏殿(ぶつでん)

 当初の伽藍(がらん)は応仁の乱でほとんど焼失しましたが、寛文8年(1668)徳川四代将軍家綱によって再建され、現在の伽藍の多くはこの時に整備されています。  仏殿内陣には運慶作と伝える阿弥陀(あみだ)・釈迦(しゃか)・弥勒(みろく)の三尊仏が安置され、過去・現在・未来の三世にわたって人類の平安と幸福を祈る人々の信仰を集めています。

舎利殿(しゃりでん)

 お釈迦(しゃか)様の御舎利(おしゃり)(御遺骨の一部)が奉安(ほうあん)されてい貴重な霊殿です。天井には狩野山雪(かのうさんせつ)筆の蟠龍(ばんりゅう)図が描かれ、「鳴龍(なきりゅう)」としても知られています。

【舎利殿】

月輪御陵(つきのわごりょう)

 第87代四条(しじょう)天皇の御陵が御遺言によってここに定められて以来、山内にはご歴代の天皇・皇族の御陵が設けられ現在にいたります。天皇皇后両陛下をはじめ、皇太子殿下、皇族の方々も折に触れお参りになる、尊く由緒ある御陵で、宮内庁の管轄となっています。

【月輪御陵】


<その2>




 泉涌寺にある「拝跪聖陵(はいきせいりょう)」の石碑は、一般人が聖陵に対してひざまずいて拝む場所を示した碑です。

 かつては一般に対して拝観謝絶の泉涌寺でしたが、その規則を動かし、三聖地巡拝という道を我々に開いてくださったのが金剛さまです。

霊明殿(れいめいでん)

 第38代天智(てんち)天皇以降の御歴代天皇、皇后、宮家の御尊牌(ごそんぱい)、御尊像(ごそんぞう)などが奉祀(ほうし)され、毎月の御命日やお彼岸には御法要が営まれています。また、月々の御回向(ごえこう)(法事)が続けられています。

【霊明殿】

解脱金剛宝塔(げだつこんごうほうとう)

 金剛さまをお祀りする宝塔で、昭和29年11月全国会員の真心によって建立開眼されました。  尊い御皇室の菩提寺ある御寺泉涌寺の聖域の一角に、解脱金剛宝塔の建設が許可されたことは全く異例のことであり、驚くべきことと言わねばなりません。 『死して後も、泉山(御寺泉涌寺)を護持し奉(たてまつ)らん』という金剛さまの御精神が通じ、御寺泉涌寺の境内に解脱金剛宝塔を建立させていただいています。  解脱金剛宝塔内には金剛さまの御舎利(おしゃり)(御遺骨)が安置されており、囲むように金剛さまのもとで大理想実現にお使いいただきたいと願う会員物故者の精霊(しょうりょう)が斎祀(さいし)されています。  宝塔の「解脱金剛」の文字は、建立当時の御寺泉涌寺長老、平野龍法(りゅうほう)猊下(げいか)の揮毫(きごう)によるものです。  泉山を護持し奉(たてまつ)るとの金剛さまの大きなご精神を学び、ひとつひとつ実践していき、また、金剛さまの法縁に結ばれたことのありがたさを真心より感謝しましょう。

平野龍法猊下

所在地

〒605-0977  京都市東山区泉涌寺山内町27 TEL.075-561-1551

御寺泉涌寺の豆知識

 御寺泉涌寺の公式ホームページ(http://www.mitera.org)には、年中行事と毎月行われる御月並(つきなみ)法要の中に「解脱会法要」の記載がされています。  京都御所(ごしょ)内にあった御黒戸(おくろど)を移築した海会堂(かいえどう)には歴代天皇、皇后、皇族方が祀(まつ)られていますが、御皇室以外の一般人では、月輪大師・俊芿(しゅんじょう)、弘法大師(こうぼうだいし)・空海、解脱金剛の三名のみが祀られています。

解脱金剛宝塔】

bottom of page