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巡拝錬成への思い Vol.2 上薗青年副本部長



 みなさんは、三聖地巡拝錬成が好きですか?多くの方は、好きも嫌いも無い、というより考えた事がないのではないでしょうか。

 私たち、解脱会青年部にとっては、身近な行事ですし、「行くべきもの」だとか「行かされいるもの」のような感覚ではないでしょうか。三聖地巡拝錬成が近付いてくると、役員さんに声を掛けられ、なんとなく「行きます」と返事をしている方も多いと思います。それを否定するわけではありません。むしろ、それで良いと思っています。ですが、どうせ行くなら“好き”になってほしいとも思います。

 とは言え、好きになるポイントが見つけにくいのも事実です。暑い、お金がかかる、時間もかかる、バスで寝るのがしんどい・・・・

 私は、昔からこの行事が好きでした。お土産を買うのが楽しかったり、バスレクで景品をもらえるのが嬉しかったり。橿原神宮の駐車場で買うカップのかき氷も大好きでした。つまりは、聖地の参拝以外の部分が好きでした。でも、それがあったから、そして鼓笛があったから、欠かさず参加していました。

 ずいぶんと大人になってから聖地について考え、学び、尊さを知りました。例えば、伊勢神宮は外国の著名人からも尊崇されていること、橿原神宮は地元の方々の熱い思いによって建立されたこと、泉涌寺は民間人の参拝が長い間認められていなかったことなどなど。そして、それらの聖地に毎年団体参拝できるように道を開いてくださった金剛さまのすごさ。例を挙げると枚挙に暇がありません。きっと、学べば学んだだけ、もっともっとすごいことが分かってくるのだと思います。そして、どんどん好きになっていくと思います。

 でも、私は、それよりも大事なことがあると思います。もちろん、学ぶことは素晴らしいことで、いろんなことを知った上で参加すると、より感じられることもあると思います。ですが、何より大事なことは「参加すること」だと思います。聖地の尊さを知らなくても、この行事の意味を考えなくても、とにかく参加することが一番大切です。それはなぜか。私は、三聖地という場所は「その場に行くだけで、現状に感謝ができ、平和を願えるところ」だと思っています。

 よく、初めて参加した方から「よく分からなかったけど良かった。」というような感想を聞きます。これは、各聖地にある「聖気」とか「霊気」とか言われるようなものを感じ取ったことだろうと考えられます。例え、聖地の事を理解していなくても、三聖地には「各個人にふさわしく感じ取れる何か」が必ず用意されています。それを積み重ねると、きっと病みつきになります。

 だからこそ、私は、全国からできるだけ多くの仲間と三聖地巡拝錬成に参加したいと願っています。みんなで聖地に浸り、よく分からなくてもいいから、“何か良いもの”を感じ取りに行きましょう。8月、たくさんの仲間に会えることを今から楽しみにしています。


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