青年の主張
- gyd465
- 2022年10月13日
- 読了時間: 7分
東京第6教区 荒川支部
西條 公弥(さいじょう まさや)さん
令和3年9月 東京ブロック青年講座にて

みなさん、おはようございます。東京第六教区荒川支部の西條公弥と申します。 まず軽く自己紹介をさせて頂きます。私は現在、神奈川の IT 系会社でシステムエンジニアとして働きながら、解脱会では荒川支部班長、鼓笛隊役員のお役目をいただいています。
本日はこれまでの解脱会での経験から学んだこと、それに対する私の変化に関してお話ししようと思います。
私は小さいころから親に連れられて解脱会行事に行っていたのと、家を引っ越して二世帯となり支部の隣に住んでいたことから、解脱会に触れる機会が多かったです。ただ、あまり熱心ではなかったし、大学生になったころには行事に行くのが面倒になり、ほぼ行かなくなった年もありました。
行事に参加しなくなった理由としては、一つは大学で軽音楽サークルに入り音楽と出会い、ライブをしたり、アーティストのライブに行くことが優先になったことが挙げられます。ライブやロックフェスに行くことのほうが楽しいと感じ、行事に行くことが面倒だと感じるようになっていきました。さらに、音楽に影響され言い方は正しいかわかりませんが尖ることがロックだと思い、自分が好きな音楽を理解できないのはおかしい、はやっている音楽なんて全てダサいと心の中で周りを見下すようになりました。今思えばこの性格がこの後お話しする人間関係のトラブルに繋がっていたのかなと思います。
行事に参加しなくなった理由の二つ目として今少し触れた通り人間関係でトラブルが続いていたことがあげられます。
そもそも私は大学時代に関わらず、高校から人間関係でトラブルが続いていました。高校時代には裏でクラスメイトから避けられていたり、悪口を言われたり、大学時代でもサークルでの人間関係がうまくいかず、同期からの連絡が怖くなり、スマホの通知に怯えるようになっていました。その経験から、軽く人間不信のようになってしまい、人とかかわるのが嫌になっていきました。どんなに人と話してもどうせこの人も自分を裏切るんだろうなと考えてしまい、他人に対して壁を作るようになりました。
それによって人と話すのが嫌になっていき、行事に参加するのも億劫になっていきました。
さらに、大学院に進学した後の研究室での研究では、どんなに進捗を出しても教授に怒られるという状況があまりにもつらく、精神的に病んでいき、適応障害の診断を受けました。それをきっかけにさらに性格が暗くなっていきました。就職活動でもなかなか内定がもらえず、最初は自分を採用しない企業なんて見る目がない、と強気に思っていましたが、だんだんどうして自分を採用してくれないのかと自信を失っていきました。
そんな時に、解脱会の同期や先輩の方がごはんや飲み会に頻繁に誘ってくれ、最初はあまり気が乗らなかったけれど、このままだと自分の気持ちが落ち込む一方だと思ったので行くことにしました。そこで楽しく話をしたり、自分の事情を話し、それに対して色々と相談に乗ってくれたりしてもらううちに、段々と他人に対する壁がなくなっていきました。また、色々な意見 を聞くうちに周りを見下していた自分の考えが間違っていると気づくことが出来、他の人が好きなものにも良さがある、自分にはそれが合わなかっただけ、別に他の人は何もおかしくないしむしろ音楽で周りを見下していた自分がおかしいということを実感し、考えを変えるようになりました。元々自分の事情を話していなかったので、向こうには別に助けよう と思って誘ってくれたわけではないにしろ、自分にとっては大きな支えになりました。仲良くしてくださった方には本当に感謝しています。
それがきっかけになり、他人とのつながりの重要性を実感することができましたし、解脱会の行事にも積極的に参加しようと思うことができました。これらがなければ今の自分にと っての転機になったミャンマースタディツアーに参加することもなかったと思います。次にそのミャンマーでの体験と学びをお話ししようと思います。
私は去年、大学院二年生の時にお誘いをいただき、ミャンマースタディツアー2020に参加しました。
学んだこととしては、一つ目に自分がいかに恵まれているかということです。現地の病院での活動で、実際の手術の現場や患者の方々の暮らしを目にして、はっきり言って恵まれてい るとはいえない状況や現地の医療の限界を目にして、当たり前に医療が受けられたり、欲しいものがすぐに手に入る日本に住んでいる自分がいかに恵まれているかを実感しました。 しかし、それと同時にそんな状況でも幸せそうに暮らしている人々もおり、幸せとはただ単純にお金などの物理的な豊かさだけではないと感じました。
二つ目に学んだこととして、他人を笑顔にすることの楽しさです。それを実感したのは児童養護施設ドリームトレインでの活動です。ミャンマースタディツアーの頃には改善されていたとはいえ、 やはり初めて会う人達にはどうしても距離を取ってしまう最初は、子供達と交流できるかどうか不安でした。しかし現地に行くと、子供達の方から私たちを遊びに誘ってくれたり、披露したダンスを喜んでみてくれたり、みんな嬉しそうにしていました。また、これはドリームトレインに関わらずですが、ミャンマーの方に挨拶をすると笑顔で返してくれる方もいました。それをみて、自分は他人の笑顔を見るのが好きなんだということに気づきました。 また、病院で学んだことに通じるのですが、大変な状況で苦労している人たちを笑顔にさせたいと感じる自分もいました。このことが自分の今のお役目のモチベーションに繋がっていると思います。
この他にも様々な学びや他のメンバーとの出会いもあり、間違いなく自分の価値観や考え方の転機になったのだと思います。
次に今のお役目に関してお話しします。
最初に話した通り現在、荒川支部班長及び鼓笛隊役員のお役目をいただいています。何もお役目のなかった青年部員の時に比べてやはり考えることも多く、やらなければならないことも増えました。今までそのような機会がなく、もともと真面目とは程遠い性格ですし、しっかりと取り組んでいるとは全く言えません。仕事と違ってやったところで何かがもらえるわけでもないし、面倒と感じ、やめたいと感じる瞬間があります。しかし、ミャンマーの経験から人の笑顔を見るのは楽しいと感じられるようになったおかげで、自分たちが企画したレクなどで喜んでもらえるのがうれしいと感じるようになってきています。
また、最初に触れた通り、私はシステムエンジニアとして働いています。給料をもらって仕事をするようになって、お金をもらえる分正直お役目よりもやりがいを感じるときがあり ます。SE という仕事上、お客様と交流やお客様の反応を見ることが少なく、誰かの笑顔を見られるというわけではありません。その点では解脱会のお役目は相手の反応を直に感じるし、人と人とのつながりを深く感じることがあります。
これらのことから、最初はあまりやる気のなかったお役目を最近ではもっと頑張ってみよ うかなと考えられるようになってきており、このお役目の経験からまだ学べていないことを学んでいきたいと思っています。
解脱会の方々との交流、ミャンマースタディツアーのどちらが欠けても今の自分はいないと思っています。この主張の内容を考える上で、自分のことを振り返ったときに、解脱会の存在は今の自分にとって欠かせないものだったのだと気づくことが出来ました。同時に、自 分より若い世代の人たちにも行事に参加したり、同世代の人や先輩と話したり、色々と経験をしてほしいなと感じます。もちろん来るのが面倒という人も多いと思います。実際自分も よく思います。しかし、ただ参加してみるだけでも実は無意識に学べることは多いと思っています。もちろんそれに気づくのは何年も先になるかもしれません。実際私も何年も解脱会 に参加してようやく気づくことができました。これを聞いてここにいる皆さんにも配信で 見ている方々にももっと解脱会に参加してみたいなと思っていただければ幸いです。そして、お役目がある身としてその責任を自覚し、みなさんが来やすい環境を作っていきたいなと思います。
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