青年本部会役員コラム
- gyd465
- 7月10日
- 読了時間: 3分
更新日:7月16日
み教えを学んでいてよかったこと Vol.13

北島 鯉久人 青年部教務員
私の「み教えを学んでいてよかったエピソード」はたくさんのお陰様を知れたことです。幼少期から両親に、支部や御霊地などに連れられて行っていた私は、10代のころは何もかもが当たり前で、何となくでしかみ教えを学んでいませんでした。両親がいるのも当たり前、毎日ご飯を食べられるのも当たり前、住む家があることも当たり前で、今振り返れば色々なことに無頓着だったなと思います。
しかし、2つの出来事を通してお陰様に気づいたことがあります。1つ目は18歳のころに参加した青年研修です。青年研修ではみ教えについての様々なプログラムが組まれており、研修を通して私の中で両親から見聞きして、断片的だったみ教えがパズルのピースのように埋まっていく感覚に感激したのを覚えています。特に印象的だったのは「両親からの手紙」というプログラムです。両親がサプライズで手紙を書いており、青年研修中に参加者の手元に届くようになっていました。その両親からの手紙を読んだ私は、両親からたくさんの愛情をもらっていたんだと気がつき、両親がいるお蔭で今の私がいると素直に思えました。青年研修の喜びのあまり、家に帰ってからは両親とみ教えを始めたきっかけとなった祖父母に対して、「解脱を学んでくれてありがとう」と言ったのを今でも覚えています。先祖へのお陰様を知ったきっかけでした。
2つ目は20歳のころに参加したカンボジアスタディツアーです。カンボジアでは戦争の爪痕からの貧困、病気など、日本では当たり前のようにしていたことが当たり前ではありませんでした。そんな状況下の国でしたが、カンボジアの子ども達の目は常にキラキラとしていたのを覚えています。カンボジアの子ども達は、貧困の中でも日々喜びがあふれていた生活をしていたのかなと思います。私はカンボジアスタディツアーを通して学校で勉強して丈夫な家に住んで、ご飯を食べてと、普通に生活していたことが当たり前ではないと気が付き、様々なお蔭様で自分は日々生活させていただいていると実感しました。
他にもみ教えを通して、たくさんのお陰様を知ることが出来ましたが、お陰様を知ることで生かされている喜びを実感する機会が増えました。お陰様を知ると誰かの喜びを自分の喜びと思える自分になってきた気がします。そうすることで心が豊かになると感じています。私の祖母の家は7年前に支部をお預かりするようになりましたが、支部の会員さん達の喜びが北島家の喜びになっていると実感することも多いです。お陰様に気がつくことで心の豊かさ、幸せが増えてくるのではないかと私は思います。私もお陰様を知ったからにはほかの誰かの喜びのために、み教えを通して家族と共に努力精進していこうと思います。

コメント